は昼もきこえて水はむかしのやうに流れてゆく。
沖ノ端
柳河を南に約半里ほど隔てて六騎《ロツキユ》の街沖ノ端がある。(六騎とはこの街に住む漁夫の渾名であつて、昔平家没落の砌に打ち洩らされの六騎がここへ落ちて来て初めて漁りに従事したといふ、而してその子孫が世々その業を継襲し、繁殖して今日の部落を為すに至つたのである。)畢竟は柳河の一部と見做すべきも、海に近いだけ凡ての習俗もより多く南国的な、怠惰けた規則《しまり》のない何となく投げやりなところがある。さうしてかの柳河のただ外面《うはべ》に取すまして廃れた面紗《おもぎぬ》のかげに淫らな秘密を匿してゐるのに比ぶれば、凡てが露《あらは》で、元気で、また華やかである。かの巡礼の行楽、虎列拉避けの花火、さては古めかしい水祭りの行事などおほかたこの街特殊のものであつて、張のつよい言葉つきも淫らに、ことにこの街のわかい六騎は温ければ漁《すなど》り、風の吹く日は遊び、雨には寝《い》ね、空腹《ひもじ》くなれば食ひ、酒をのみては月琴を弾き、夜はただ女を抱くといふ風である。かうして宗教を遊楽に結びつけ、遊楽のなかに微かに一味の哀感を繋いでゐる。観世音
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