く続いてゆくのもこの時である。さはいへまた久留米絣をつけ新しい手籠を擁《かか》へた菱の実売りの娘の、なつかしい「菱シヤンヲウ」の呼声をきくのもこの時である。

 九月に入つて登記所の庭に黄色い鶏頭の花が咲くやうになつてもまだ虎刺拉《コレラ》は止む気色もない。若い町の弁護士が忙しさうに粗末な硝子戸を出入りし、蒼白い薬種屋の娘の乱行の漸く人の噂に上るやうになれば秋はもう青い渋柿を搗く酒屋の杵の音にも新しい匂の爽かさを忍ばせる。
 祇園会が了り秋もふけて、線香を乾かす家、からし油を搾る店、パラピン蝋燭を造る娘、提燈の絵を描く義太夫の師匠、ひとり飴形屋(飴形は飴の一種である、柳河特殊のもの)の二階に取り残された旅役者の女房、すべてがしんみりとした気分に物の哀れを思ひ知る十月の末には、先づ秋祭の準備として柳河のあらゆる溝渠はあらゆる市民の手に依て、一旦水門の所を閉され、水は干され、魚は掬はれ、腥ぐさい水草は取り除かれ、溝《どぶ》どろは綺麗に浚ひ尽くされる。この「水落ち」の楽しさは町の子供の何にも代へ難い季節の華である。さうしてこの一騒ぎのあとから、また久濶《ひさし》ぶりに清らかな水は廃市に注ぎ入
前へ 次へ
全18ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北原 白秋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング