望の曠い平野丈に何らの見るべき変化もなく、凡てが陰鬱な光に被はれる。柳河の街の子供はかういう時幽かなシユブタ(方言|鮑《はえ》の一種)の腹の閃きにも話にきく生胆取《いきぎもとり》の青い眼つきを思ひ出し、海辺の黒猫はほゝけ果てた白い穂の限りもなく戦いでゐる枯葦原の中に、ぢつと蹲つたまゝ、過ぎゆく冬の囁きに昼もなほ耳かたむけて死ぬるであらう。
いづれにもまして春の季節の長いといふ事はまた此地方を限りなく悲しいものに思はせる。麦がのび、見わたす限りの平野に黄ろい菜の花の毛氈が柔かな軟風に乗り初めるころ、まだ見ぬ幸を求むるためにうらわかい町の娘の一群は笈に身を窶し、哀れな巡礼の姿となつて、初めて西国三十三番の札所を旅して歩く。(巡礼に出る習慣は別に宗教上の深い信仰からでもなく、単にお嫁入りの資格としてどんな良家の娘にも必要であつた。)その留守の間にも水車は長閑かに廻り、町端れの飾屋の爺は大きな鼈甲縁の眼鏡をかけて、怪しい金象眼の愁にチンタンと鎚を鳴らし、片思の薄葉鉄《ブリキ》職人はぢりぢりと赤い封蝋を溶かし、黄色い支那服の商人は生温い挨拶の言葉をかけて戸毎を覗き初める。春も半ばとなつて菜の
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