》られても、直ぐ四十度近くの高熱を喚び起した程、危険極まる児であつた。石井家では私を柳河の「びいどろ罎」と綽名した位、殆んど壊れ物に触るやうな心持で恐れて誰もえう抱けなかつたさうである。それで彼此往来するにしても俥からでなしに、わざわざ古めかしい女駕籠《をんなのりもの》を仕立てたほど和蘭の舶来品扱ひにされた。それでもある時なぞは着いてすぐ玄関に舁ぎ据ゑた駕籠の、扉をあけて手から手へ渡されたばかりでもう蒼くなつて痙攣《ひきつ》けて了つたさうである。
三歳の時、私は劇しい窒扶欺《チブス》に罷つた。さうして朱欒《サボン》の花の白くちるかげから通つてゆく葬列を見て私は初めて乳母の死を知つた。彼女は私の身熱のあまりに高かつたため何時しか病を伝染《うつ》されて、私の身代りに死んだのである。私の彼女に於ける、記憶は別にこれといふものもない。ただ母上のふところから伸びあがつて白い柩を眺めた時その時が初めのまた終りであつた。
家に来た乳母はおいそと云つた。私はよく彼女《かれ》と外目《ほかめ》の母の家に行つては何時も長々と滞留した。さうして迎への人力車がその銀の輪をキラキラさして遙かの山すその岡の赤い
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