旅興行の手品師が囃子おもしろく、咽喉を真赤に開けては、激しい夕焼の中で、よく大きな雁首の煙管を管いつぱいに呑んで見せたものである。
私はかういふ雰囲気の中で何時も可なり贅沢な気分のもとに所謂油屋の Tonka《トンカ》 John《ジヨン》として安らかに生ひ立つたのである。
南関
私の第二の故郷は肥後の南関《なんくわん》であつた。南関は柳河より東五里、筑後境の物静かな山中の小市街である。その街の近郊|外目《ほかめ》の山あひに恰も小さな城のやうな何時も夕日の反照をうけて、たまたま旧道をゆく人の胆仰の的となつた天守造りの真白な三層楼があつた。それが母の生れた家であつて、数代この近郷の尊敬と素朴な農人の信望とをあつめた石井家の邸宅であつた。
私もまたこの小さな国の老侯のやうに敬はれ、侍《かしづ》かれ、慕はれて、余生を読書三昧に耽つた外祖|業隆《なりたか》翁の真白な長髯の家で生れて――明治十八年一月二十五日――然る後古めかしい黒塗の駕籠に乗つて、まだ若い母上と柳河に帰つた。
私は生れて極めて虚弱な児であつた。さうして癇癪の強い、ほんの僅かな外気に当るか、冷たい指さきに触《さは
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