書斎と星
北原白秋
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)家《うち》
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『東京にはお星さんがないよ。』
と、うちの子はよく言ふ。
『ああ、ああ、俺には書斎がない。』
これはその父であるわたくし自身の嘆息である。
まつたく小田原の天神山はあらゆる星座の下に恵まれてゐた。山景風光ともにすぐれて明るかつたが、階上のバルコンや寝室から仰ぐ夜空の美しさも格別であつた。これが東京へ来てほとんど見失つて了つた。それでもまだこの谷中の墓地はいい。時とすると晴れわたつた満月の夜などに水水しい木星の瞬きも光る。だが、うちの庭からは菩提樹や椎の木立に遮られて、坊やの瞳には映らない。
それから、ここの家である。庭は広く、木も立ちこんで、廂の深い、それは古風な幽雅な趣きもあり、豊かな気持もあるが、どの室にも日光が直接には当らない。湿けもする。全然開放的であつた小田原の家とはあまりに違ひ過ぎる。あちらでは震災で半壊はしても、それは子供があるいても揺れてゐた階上の生活ではあつたが、極めて気安く季節の風と光とを受け入れてゐた。さうしてまるで草木や昆虫の世界に間借でもしてゐるやう
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