かなしきものは刺あり、
傷《きず》つき易きこころの
しづかに泣けばよしなや、
酒にも黴《かび》のにほひぬ。

  20

目さまし時計の鳴る夜に
かなしくひとり起きつつ
倉を巡囘《まは》れば、つめたし、
月の光にさく花。

  21

わが眠《ぬ》る倉のほとりに

青き光《ひ》放つものあり、
螢か、酒か、いの寢ぬ、
合歡木《カウカノキ》のうれひか。

  22

倉の隅にさす日は
微《ほの》かに光り消えゆく、
古りにし酒の香にすら、
人にはそれと知られず。

  23

青葱とりてゆく子を
薄日の畑にながめて
しくしく痛《いた》むこころに
酒をしぼればふる雪。

  24

銀の釜に酒を湧かし、
金の釜に酒を冷やす
わかき日なれや、ほのかに
雪ふる、それも歎かじ。

  25

夜ふけてかへるふしどに
かをるは酒か、もやし[#「もやし」に傍点]か、
酒屋男のこころに
そそぐは雪か、みぞれか。


 酒の精


『酒倉に入るなかれ、奧ふかく入るなかれ、弟よ、
そこには怖ろしき酒の精のひそめば。』
『兄上よ、そは小さき魔物《まもの》ならめ、かの赤き三角帽の
西洋のお伽譚《とぎばなし》によく聞ける、おもしろき…………。』
『そは知らじ、然れどもかのわかき下婢《アイヤン》にすら
母上は妄《みだ》りにゆくを許したまはず。』
『そは訝《いぶ》かしきかな、兄上、倉の内には
力強き男らのあまたゐれば恐ろしき筈なし。』
『げにさなり、然れども弟よ、母上は
かのわかき下婢《アイヤン》にすらされどなほゆるしたまはず。
酒倉に入るなかれ、奧ふかく入るなかれ、弟よ。』


 紺屋のおろく


にくいあん畜生は紺屋《かうや》のおろく、
猫を擁《かか》えて夕日の濱を
知らぬ顏して、しやなしやなと。

にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢《きやしや》な指さき濃青《こあを》に染《そ》めて、
金《きん》の指輪もちらちらと。

にくいあん畜生が薄情《はくじやう》な眼つき、
黒の前掛《まえかけ》、毛繻子か、セルか、
博多帶しめ、からころと。

にくいあん畜生と、擁《かか》えた猫と、
赤い入日にふとつまされて
瀉《がた》に陷《はま》つて死ねばよい。ホンニ、ホンニ、…………


 沈丁花


からりはたはた織る機《はた》は
佛蘭西機《ふらんすばた》か、高機《たかはた》か、
ふつととだえたその窓に
守宮《やもり》吸ひつき、日は赤し、
明《あか》り障子の沈丁花。


 NOSKAI



堀の BANKO をかたよせて
なにをおもふぞ。花あやめ
かをるゆふべに、しんなりと
ひとり出て見る、花あやめ。


 かきつばた



柳河の
古きながれのかきつばた、
晝は ONGO [#「ONGO」に「*」の著者註]の手にかをり、
夜は萎《しを》れて
三味線の
細い吐息《といき》に泣きあかす。
(鳰《ケエツグリ》のあたまに火が點《つ》いた、
潜《す》んだと思ふたらちよいと消えた。)
 * 良家の娘、柳河語


 AIYAN[#「AIYAN」に「*」の著者註]の歌


いぢらしや、
ちゆうまえんだ[#「ちゆうまえんだ」に傍点]のゆふぐれに
蜘蛛《コブ》が疲《つか》れて身をかくす、
ほんに薊の紫に
刺《とげ》が光るぢやないかいな。
(*ANTEREGAN の畜生はふたごころ。わしやひとすぢに。)
 1、下婢、兒守女、柳河語。
 2、あの畜生?


 曼珠沙華


GONSHAN. GONSHAN. 何處《どこ》へゆく、
赤い、御墓《おはか》の曼珠沙華《ひがんばな》、
曼珠沙華《ひがんばな》、
けふも手折りに來たわいな。

GONSHAN. GONSHAN. 何本《なんぼん》か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの兒の年の數《かず》。
GONSHAN. GONSHAN. 氣をつけな、
ひとつ摘《つ》んでも、日は眞晝、
日は眞晝、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN. GONSHAN. 何故《なし》泣くろ、
何時《いつ》まで取っても曼珠沙華《ひがんばな》、
曼珠沙華、
恐《こは》や、赤しや、まだ七つ。


 牡丹


ほんにの、薄情《はくじやう》な牡丹がちりかかる。
風もない日に、のう、
紅《あか》い牡丹が、のうもし、ちりかかる。
ひらきつくした二人《ふたり》がなかか、
雨もふらいで、のうもし、ちりかかる。


 氣まぐれ


逢ひに來たち[#「ち」に「*」の著者註]の
日の照り雨のふるなかを、
Odan mo iya, Tinco Sa!

しやりむり別れたそのあとで、
未練《みれん》な牡丹がまたひらく。
Odan mo iya, Tinco Sa!
[#数字は1字下げ、説明は3字下げ]
1、ちの[#「ちの」に傍点]は雅言のとや[#「とや」に傍点]なり。來たの、來たんですつて。柳河語。
2、Odan はわたしなり、Tinco Sa は感嘆詞なり、全體の意味はあら厭だよ、まあ。同上。
[#ここで字下げ終わり]


 道ゆき


鰡《ぼら》と黒鯛《ちんのいを》と、
黒鯛《ちんのいを》と、
鰡と、のうえ[#「のうえ」は小さい文字]
肥前山をば、やんさのほい[#「やんさのほい」は小さい文字]、けさ越えた、ばいとこずいずい[#「ばいとこずいずい」は小さい文字]。

後家《ごけ》と、按摩《あんま》さんと、
按摩さんと、
後家と、のうえ[#「のうえ」は小さい文字]
蜜柑畑から、やんさのほい[#「やんさのほい」は小さい文字]、昨夜《よべ》逃げた、ばいとこずいずい[#「ばいとこずいずい」は小さい文字]。


 目くばせ


門づけのみふし[#「みふし」に「*」の著者註]語《がた》りがいうことに
高麗烏《かうげがらす》のあのこゑわいな。
晝の日なかに生れた赤子
埋《う》めた和尚が一人《ひとり》あるぞえ。

古寺の高麗烏《かうげがらす》のいふことに、
みふし[#「みふし」に傍点]語《がた》りのあの絃《いと》わいな。
今日《けふ》も今日とて、かんしやくもちの
振《ふ》られ男がそこいらに。
 * 鄙びた粗末なる一種の琵琶を抱きて卑近なる物語を歌ひながらゆく盲目の門づけなり、地方特殊のものにてその歌ひものをみふし[#「みふし」に傍点]と云ふ。[#この註、2行目以降は3字下げ]


 あひびき


きつねのてうちん[#「きつねのてうちん」に「*」の著者註]見つけた、
蘇鐵のかげの黒土《くろつち》に、
黄いろなてうちん見つけた、
晝も晝なかおどおどと、
男かへしたそのあとで、
お池のふちの黒土に、
きつねのてうちん見つけた。
 *毒茸の一種、方言、色赤く黄し。


 水門の水は


水門《すゐもん》の水は
兒をとろとろと渦をまく。
酒屋男は
半切《はんぎり》鳴らそと櫂を取る。
さても、けふ日のわがこころ
りんきせうとてひとり寢る。


 六騎


御|正忌《しやうき》[#「御正忌」に「*」の著者註]參詣《めえ》らんかん、
情人《ヤネ》が髪結ふて待《ま》つとるばん。

御正忌|參詣《めえ》らんかん、
寺の夜《よ》あけの細道《ほそみち》に。

鐘が鳴る、鐘が鳴る。
逢うて泣けとの鐘が鳴る。
 *親鸞上人の御正忌なり。


 梅雨の晴れ間


※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、339−4]《まは》せ、※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、339−4]《まは》せ、水ぐるま、
けふの午《ひる》から忠信《ただのぶ》が隈《くま》どり紅《あか》いしやつ面《つら》に
足どりかろく、手もかろく
狐六法《きつねろつぽふ》踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………

※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、340−1]《まは》せ、※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、340−1]せ、水ぐるま、
雨に濡れたる古むしろ、圓天井のその屋根に、
青い空透き、日の光、
七寶《しつぽう》のごときらきらと、化粧部屋《けしやうべや》にも笑ふなり。

※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、340−5]《まは》せ、※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、340−5]せ、水ぐるま、
梅雨《つゆ》の晴れ間《ま》の一日《いちにち》を、せめて樂しく浮かれよと
※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、340−7]り舞臺も滑《すべ》るなり、
水を汲み出せ、そのしたの葱の畑《はたけ》のたまり水。

※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、341−1]《まは》せ、※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、341−1]せ、水ぐるま、
だんだら幕の黒と赤、すこしかかげてなつかしく
旅の女形《おやま》もさし覗く、
水を汲み出せ、平土間《ひらどま》の、田舎芝居の韮畑《にらばたけ》。

※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、341−5]《まは》せ、※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、341−5]せ、水ぐるま、
はやも午《ひる》から忠信《ただのぶ》が紅隈《べにくま》とったしやつ面《つら》に
足どりかろく、手もかろく、
狐六法《きつねろつぽふ》踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………


 韮の葉


芝居小屋の土間のむしろに、
いらいら沁みるものあり。
畑《はたけ》の土のにほひか、
昨日《きのふ》の雨のしめりか。
あかあかと阿波の鳴門の巡禮が
泣けば…………ころべば…………韮《にら》の葉が…………

芝居小屋の土間のむしろに、
ちんちろりんと鳴いづる。
廉《やす》おしろひのにほひか、
けふの入り日の顫へか、
あかあかと、母のお弓がチヨボにのり
泣けば…………なげけば…………蟲の音が…………

芝居小屋の土間のむしろに
何時しか沁みて芽に出《づ》る
まだありなしの韮の葉。


 旅役者


けふがわかれか、のうえ、
春もをはりか、のうえ、
旅の、さいさい、窓から
芝居小屋を見れば、

よその畑《はたけ》に、のうえ、
麥の畑《はたけ》に、のうえ、
ひとり、さいさい、からしの
花がちる、しよんがいな。


 ふるさと


人もいや、親もいや、
小《ちい》さな街《まち》が憎うて、
夜《よ》ふけに家を出たけれど、
せんすべなしや、霧ふり、
月さし、壁のしろさに
こほろぎがすだくよ、
堀《ほり》の水がなげくよ、
爪《つま》さき薄く、さみしく、
ほのかに、みちをいそげば、
いまだ寢《ね》ぬ戸の隙《ひま》より
灯《ひ》もさし、菱《ひし》の芽生《めばえ》に、
なつかし、沁みて消え入る
油搾木《あぶらしめぎ》のしめり香《が》。



底本:「柳河版 思ひ出」御花
   1967(昭和42)年6月1日初版発行
   1978(昭和53)年2月25日6版
底本の親本:「抒情小曲集 おもひで」東雲堂書店
   1911(明治44)年6月5日初版発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と、価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のまなとしました。(青空文庫)
※「飜」と「翻」、「鵞」と「鵝」、「没」と「歿」、「鼓」と「皷」、「穀」と「※[#「轂」の「車」に代えて「米」]」、「参」と「參」、「涼」と「凉」、「虫」と「蟲」の混在は底本のママ。
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2002年1月31日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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