んぼ
青いとんぼの眼を見れば
緑の、銀の、エメロウド、
青いとんぼの薄き翅《はね》
燈心草《とうしんさう》の穗に光る。
青いとんぼの飛びゆくは
魔法つかひの手練《てだれ》かな。
青いとんぼを捕ふれば
女役者の肌ざはり。
青いとんぼの奇麗さは
手に觸《さは》るすら恐ろしく、
青いとんぼの落《おち》つきは
眼にねたきまで憎々し。
青いとんぼをきりきりと
夏の雪駄で蹈みつぶす。
猫
夏の日なかに青き猫
かろく擁《いだ》けば手はかゆく、
毛の動《みじろ》げはわがこころ
感冒《かぜ》のここちに身も熱《ほて》る。
魔法つかひか、金《きん》の眼の
ふかく息する恐ろしさ、
投げて落《おと》せばふうわりと、
汗の緑のただ光る。
かかる日なかにあるものの
見えぬけはひぞひそむなれ。
皮膚《ひふ》のすべてを耳にして
大麥の香《か》になに狙《ねら》ふ。
夏の日なかの青き猫
頬にすりつけて、美くしき、
ふかく、ゆかしく、おそろしき――
むしろ死ぬまで抱《だ》きしむる。
おたまじやくし
おたまじやくしがちろちろと、
粘《ねば》りついたり、もつれたり、
青い針めく藻のなかに
黒く、かなしく、生《いき》いきと。
死んだ蛙が生《なま》じろく
仰向《あふむ》きて浮く水の上、
銀の光が一面《いちめん》に
鐘の「刹那《せつな》」の音《ね》のごとく。
おたまじやくしの泣き笑ひ
こゑも得立てね、ちろちろと、
けふも痛《いた》そに尾を彈《はぢ》く、
黒く、かなしく、生《いき》いきと。
おたまじやくしか、わがこころ。
銀のやんま
二人《ふたり》ある日はやうもなき
銀のやんまも飛び去らず。
君の歩みて去りしとき
銀のやんまもまた去りぬ。
銀のやんまのろくでなし。
にくしみ
青く黄《き》の斑《ふ》のうつくしき
やはらかき翅《は》の蝶《チユウツケ》を、
ピンか、紅玉《ルビー》か、ただひとつ、
肩に星ある蝶《チユウツケ》を
強ひてその手に渡せども
取らぬ君ゆゑ目もうちぬ。
夏の日なかのにくしみに、
泣かぬ君ゆゑその唇《くち》に
青く、黄《き》の粉《こ》の恐ろしき
にくらしき翅《は》をすりつくる。
白粉花
おしろひ花の黒きたね
爪を入るれば粉のちりぬ。
幼《をさ》なごころのにくしみは
君の來たらぬつかのまか。
おしろひ花の黄《きな》と赤、
爪を入るれば粉のちりぬ。
水蟲の列
朽ちた小舟の舟べりに
赤う列《なみ》ゆく水蟲よ、
そつと觸《さは》ればかつ消えて、
またも放せば光りゆく。
いさかひのあと
紅《あか》いシヤツ着てたたずめる
TONKA JOHN こそかなしけれ。
白鳳仙花《しろつまぐれ》のはなさける
夏の日なかにただひとり。
手にて觸《さは》ればそのたねは
莢《さや》をはぢきて飛び去りぬ。
毛蟲に針《ピン》をつき刺せば
青い液《しる》出て地ににじむ。
源四郎爺は、目のうすき
魚《さかな》かついでゆき過ぎぬ、
彼《かれ》の禿げたる頭《あたま》より
われを笑へるものぞあれ。
憎《にく》き街《まち》かな、風の來て
合歡《カウカ》の木をば吹くときは、
さあれ、かなしく身をそそる。
君にそむきしわがこころ。
爪紅
いさかひしたるその日より
爪紅《つまぐれ》の花さきにけり、
TINKA ONGO の指さきに
さびしと夏のにじむべく。
Tinka Ongo.小さき令孃。柳河語。
夕日
赤い夕日、――
まるで葡萄酒のやうに。
漁師原に鷄頭が咲き、
街《まち》には虎列拉《コレラ》が流行《はや》つてゐる。
濁つた水に
土臭《つちくさ》い鮒がふよつき、
酒倉へは巫女《みこ》が來た、
腐敗止《くされどめ》のまじなひに。
こんな日がつづいて
從姉《いとこ》は氣が狂つた、
片おもひの鷄頭、
あれ、歌ふ聲がきこえる。
恐ろしい午後、
なにかしら畑で泣いてると、
毛のついた紫蘇《しそ》までが
いらいらと眼に痛《いた》い。…………
赤い夕日、――
まるで葡萄酒のやうに。
何かの蟲がちろりんと
鳴いたと思つたら死んでゐた。
紙きり蟲
紙きり蟲よ、きりきりと、
薄い薄葉《うすえふ》をひとすぢに。
何時《いつ》も冷《つめ》たい指さきの
青い疵《きず》さへ、その身さへ、
遊びつかれて見て泣かす、
君が狂氣《きやうき》のしをらしや。
紙きり蟲よ、きりきりと
薄い薄葉《うすえふ》をひとすぢに。
わが部屋
わが部屋に、わが部屋に
長崎の繪はかかりたり、――
路のべに尿《いばり》する和蘭人《おらんだじん》の――
金紙《きんがみ》の鎧もあり、
赤き赤きアラビヤンナイトもあり。
わが部屋に、わが部屋に
はづかしき幼兒《をさなご》の
ゆめもあり、
かなしみもあり、
かつはかの小さき君の
なつかしき足音もあり。
わが部屋に、わが部屋に
奇異《ふしぎ》なる事ありき、
かなしきはそれのみか、
その日より戸はあかず、…………
せんなしや、わが夢も、足音も、赤き版古《はんこ》も。
わが部屋に、わが部屋に
弊私的里《ヒステリー》の從姉《いとこ》きて
蒼白く泣けるあり。
誰なれば誰なればかの頭《あたま》
醫者のごと寄り添ひて眠《ぬ》るやらむ。
わが部屋に、わが部屋に、
ほこらしく、さは二人《ふたり》。
監獄のあと
廢《すた》れたる監獄《かんごく》に
鷄頭さけり、
夕日の照ればかなしげに
頸《くび》を顫はす。
そのなかにきのふまで
白痴《はくち》の乞食《こじき》、
髪くさき女の甘き恐怖《おそれ》もて
虱《しらみ》とりつる。
ある日、血は鷄頭の
半開《はんかい》の花にちり、
毛の黄なる病犬《やまいぬ》の
ひとり光ぬ。
そののちはなにも見ず、
かの犬も殺されて
しどけなき長雨の
ふりつづく月はきぬ。
廢れたる監獄に
鷄頭咲けり、
夕日のてればかなしげに
頸《くび》を顫はす。
午後
わが友よ、
けふもまた骨牌《トランプ》の遊びにや耽らまし、
かの轉《まろ》がされし酒桶《さかをけ》のなかに入りて、
風味《ふうみ》よき日光を浴《あ》び、
絶えず白きザボンの花のちるをながめ、
肌さはりよきかの酒の木香《きが》のなかに日くるるまで、
わが友よ、
けふもまた舶來のリイダアをわれらひらき、
珍らしき節《ふし》つけて『鵞鳥はガツグガツグ』とぞ、そぞろにも讀み入りてまし。
アラビアンナイト物語
鳴いそな鳴いそ春の鳥。
菱《ひし》の咲く夏のはじめの水路《すゐろ》から
銀が、みどりが………顫へ來て、
本の活字《くわつじ》が目に沁みる。
鳴いそな鳴いそ春の鳥。
赤い表紙の手ざはりが
狂氣《きやうき》するほどなつかしく、
けふも寢てゆく舟の上。
鳴いそな鳴いそ春の鳥。
葡萄色した酒ぶくろ、
干しにゆく日の午後《ひるすぎ》に
しんみりと鳴る、櫓の音が………
鳴いそな鳴いそ春の鳥。
ネルのにほひか、酒の香か、
舟はゆくゆく、TONKA JOHN
魔法つかひが金の夢。
註 酒を搾り了れるあとの濕りたる酒の袋を干しにとて、日ごとにわが家の小舟は街の水路を上りて柳河の公園の芝生へとゆく。わが幼時の空想はまたこの小舟の上にて思ふさまその可憐なる翅をばかいひろげたり。[#この註、2行目以降は3字下げ]
敵
いづこにか敵のゐて、
敵のゐてかくるるごとし。
酒倉のかげをゆく日も、
街《まち》の問屋に
銀紙《ぎんがみ》買ひに行くときも、
うつし繪を手の甲に押し、
手の甲に押し、
夕日の水路《すゐろ》見るときも、
ただひとりさまよふ街の
いづこにか敵のゐて
つけねらふ、つけねらふ、靜こころなく。
たそがれどき
たそがれどきはけうとやな、
傀儡師《くぐつまはし》の手に踊る
華魁《おいらん》の首|生《なま》じろく、
かつくかつくと目が動く…………
たそがれどきはけうとやな、
瀉に墮《おと》した黒猫の
足音もなく歸るころ、
人靈《ひとだま》もゆく、家《や》の上を。
たそがれどきはけうとやな、
馬に載せたる鮪《しび》の腹
薄く光つて滅《き》え去れば、
店の時計がチンと鳴る。
たそがれどきはけうとやな、
日さへ暮るれば、そつと來て
生膽取《いきぎもとり》の青き眼が
泣く兒|欲《ほ》しやと戸を覗《のぞ》く…………
たそがれどきはけうとしやな。
赤き椿
わが眼《め》に赤き藪椿。
外《そと》の空氣にあかあかと、
音なく光り、はた、落つる。
いま死にのぞむわが乳母の
かなしき眼《め》つき…………藪椿。
醜《みにく》き面《かほ》をゆがめつつ
家畜《かちく》のごとく、はた泣くは、
わが手を執《と》るは、吸ひつくは、
憎《にく》く、汚《きた》なく恐ろしき
最愛《さいあい》の手か、たましひか。
かの眼《め》に赤き藪椿。
小さき頭惱《あたま》にあかあかと、
音なく光り、はた、落つる。
二人
夏の日の午後《ひるすぎ》…………
瓦には紫の
薊ひとりかゞやき、
そことなしに雲が浮ぶ。
酒倉の壁は
二階の女部屋にてりかへし、
痛《いた》いやうに針が動く、
印度更紗のざくろの實。
暑い日だつた。
默《だま》つて縫ふ女の髪が、
その汗が、溜息《ためいき》が、
奇異《ふしぎ》な切なさが…………
惱ましいひるすぎ、
人形の首はころがり、
黒い蝶《チユウツケ》の斷《ちぎ》れた翅《つばさ》、
その粉《こな》の光る美くしさ、怪しさ。
たつた二人、…………
何か知らぬこころに
九歳《ここのつ》の兒が顫へて
そつと閉《し》めた部屋の戸。
たはむれ
菖蒲の花の紫は
わが見物のこころかな。
かつは家鴨《あひる》の尻がろに
水へ滑《すべ》るは戲《おど》けたる
道化芝居の女かな。
軍鷄《しやも》のにくきは定九郎か、
與一兵衛には何よけむ。
カステラいろの雛《ひよこ》らは
かの由良さんのとりまきか、
ぴよぴよぴよとよく歌ふ。
禿《は》げた金茶《きんちや》の南瓜《ボウブラ》は
九太夫どのか、伴内か、
青い蜻蛉《とんぼ》の息絶えし
おかると名づけ水くれむ。
銀の力彌の肩衣《かたぎぬ》は
いちはつぐさか、――雨がへる
ぴよいと飛び出た宙《ちう》がへり、
青い捕手《とりて》の幕切《まくぎれ》は
ええなんとせう、夜の雨に。
苅麥のにほひ
あかい日の照る苅麥に
そつと眠れば人のこゑ、
鳥の鳴くよに、欷歔《しやく》るよに、
銀の螽斯《ジイツタン》の彈《はじ》くよに。
ひとのすがたは見えねども、
なにが悲しき、そはそはと、
黄ろい羽蟲がやはらかに
解《と》けて縺《もつ》れて欷歔《しやく》るこゑ。
あかい日のてる苅麥に、
男かへせし美代はまた
鶩《あひる》追ひつつその卵
そつと盜《と》るなり前掛《まへかけ》に。
青い鳥
せんだんの葉越しに、
青い鳥が鳴いた。
『たつた、ひとつ知つてるよ。』つて、
さもさもうれしさうに、かなしさうに。
日の光に顫へながら、
今日《けふ》も今日《けふ》も鳴いてゐる。
『棄兒《すてご》の棄兒の TONKA JOHN
眞實《ほんと》のお母《つか》さんが、外《ほか》にある。』
註 わが幼き時の恐ろしき疑問のひとつは、わが母は眞にわが母なりやといふにありき。ある人は汝は池のなかより生れたりと云ひ、ある人は紅き果の熟る木の枝に籠とともに下げられて泣きてゐたりしなど眞しやかに語りきかしぬ。小さき頭惱のこれが爲めに少なからず脅かされしこと今に忘れず。[#この註、2行目以降は3字下げ]
[#改頁]
TONKA JOHN の悲哀
[#改頁]
春のめざめ
JOHN, JOHN,TONKA JOHN,
*油屋のJOHN,酒屋のJOHN,古問屋《ふつどいや》のJOHN,
我儘で派美《はで》好きな YOKARAKA JOHN
“SORI−BATTEN!”
南風《はえ》が吹けば菜の花畑のあかるい空に、
眞赤《まつか》な眞赤な朱《しゆ》のやうな MEN [#「MEN」に「*」の著者註]が
大きな朱の凧《たこ》が自家《うち》から揚る。
“SORI−
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