どんぐりの實はかずしれず
水の面《おもて》に唇《くち》つけぬ
お銀小銀のはなしより
どんぐりの實はわがゆめに。

どんぐりの實のおのづから
熟《う》れてなげくや、めづらしく、
祭物見《まつりものみ》の前の夜《よ》を
二人ねむれば、その胸に。

どんぐりの實のなつかしく
落ちてなげけば薄《うす》あかり、
かをる寢息《ねいき》のひまびまや、
どんぐりの實は池水に。


 赤い木太刀


赤い木太刀をかつぎつつ、
JOHN はしくしく泣いてゆく。
水天宮のお祭《まつり》が
なぜにこんなにかなしかろ。

悲《かな》しいことはなけれども、
行儀ただしく、人なみに
御輿《みこし》のあとに從へば、
金《きん》の小鳥のヒラヒラが
なぜか、こころをそそのかす。

街《まち》は五月の入日どき、
覗《のぞ》き眼鏡《めがね》がとりどりに
店をひろぐるそのなかを、
赤い木太刀をかつぎつつ、
JOHN はしくしく泣いてゆく。


 糸車


糸車、糸車、しづかにふかき手のつむぎ
その糸車やはらかにめぐる夕ぞわりなけれ。
金《きん》と赤との南瓜《たうなす》のふたつ轉《ころ》がる板の間《ま》に、
「共同醫館」の板の間《ま》に、
ひとり坐りし留守番《るすばん》のその媼《おうな》こそさみしけれ。

耳もきこえず、目も見えず、かくて五月となりぬれば、
微《ほの》かに匂ふ綿くづのそのほこりこそゆかしけれ。
硝子戸棚に白骨《はつこつ》のひとり立てるも珍《めづ》らかに、
水路《すゐろ》のほとり月光の斜《ななめ》に射《さ》すもしをらしや。
糸車、糸車、しづかに默《もだ》す手の紡《つむ》ぎ、
その物思《ものおもひ》やはらかにめぐる夕ぞわりなけれ。


 水面


ゆふべとなればちりかかる
柳の花粉《こな》のうすあかり、
そのかげに透く水面《みのも》こそ
けふも Ongo [#「Ongo」に「*」の著者註]の眼つきすれ。

またなく病《や》めるおももちの
君がこころにあまゆれば、
渦のひとつは色|變《か》えて
生膽取《いきぎもとり》の眼を見せつ。

恐れてまたも凝視《みつ》むれば
銀の Benjo [#「Benjo」に「*」の著者註]のいろとなり、
ハーモニカとなり、櫂となり、
またもかの兒の眼《め》となりぬ。

柳の花のちりかかる
樋《ゐび》のほとりのやんま釣り、
ひとりつかれて水面《みづのも》に
薄くあまゆるわがこころ。
[#ここから2字下げ]
Ongo. 良家の娘、小さき令孃。柳河語。
Benjo. 肌薄く、紅く青き銀光を放つ魚、小さし。同上。
[#ここで字下げ終わり]


 毛蟲


毛蟲、毛蟲、青い毛蟲、
そなたは何處《どこ》へ匍ふてゆく、
夏の日くれの磨硝子《すりがらす》
薄く曇れる冷《つめ》たさに
幽《かすか》に幽《かすか》にその腹部《はら》の透いて傳《つた》はる美しさ。
外の光のさみしいか、
内の小笛のこひしいか、
毛蟲、毛蟲、青い毛蟲、
そなたはひとり何處へゆく。


 かりそめのなやみ


ゆく春のかりそめのなやみゆゑ
びいどろの薄き罎に
肉桂水《につけい》を入れて欲《ほ》し、
カステラの欲し。

鉛の汽車の玩具《おもちや》は
紫の目に痛《いた》し。
銀紙《ぎんがみ》を透かせば黒し、
わが乳母の乳《ちち》くびも汚《きた》なし。

硝子戸に日の射《さ》せば
ザボンの白い花ちりかかり、
なんとなう温かうして心|空腹《ひも》じ。

カステラをふくみつつ、その黄いろなる、
われはかの君をぞ思ふ、
柔かき手のひらのなつかし。
小《ちい》さきその肩のなつかし。

かかる日に、かかる日に、
からし菜の果《み》をとりて泣く人の
その肩に手を置きて、
手を置きて、ただ何となく寄り添ひてまし。


 道ぐさ


芝くさのにほひに
夏の日光り、
幼年のこころに
*Wasiwasi 啼く。

伴《つれ》にはぐれて
うつとりと、
雪駄ひきずる
眞晝どき。

汗ばみし手に
羽蟲きて、
赤き腹部《はら》すり、また、消ゆる
藍色の眼《め》の美くしや。

つかず離《はな》れぬ
その恐怖《おそれ》、
たらたら坂を
またのぼる。

芝くさのにほひに
夏の日光り、
幼年のこころに
Wasiwasi 啼く。
  * 油蝉の方言


 螢


夏の日なかのヂキタリス、
釣鐘状《つりがねがた》に汗つけて
光るこころもいとほしや。
またその陰影《かげ》にひそみゆく
螢のむしのしをらしや。

そなたの首は骨牌《トランプ》の
赤いヂヤツクの帽子かな、
光るともなきその尻は
感冒《かぜ》のここちにほの青し、
しをれはてたる幽靈か。

ほんに内氣《うちき》な螢むし、
嗅《か》げば不思議にむしあつく、
甘い藥液《くすり》の香《か》も濕《しめ》る、
晝のつかれのしをらしや。
白い日なかのヂキタリス。


 青いと
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