しくなつて逃げるやうに父のところに行つた。丁度何かで不機嫌だつた父は金庫の把手《とりて》をひねりながら鍵《かぎ》の穴に鍵をキリリと入れて、ヂロツトとその兒を振りかへつた、私はわつと泣いた。それからといふものは小鳥の歌でさへ私には恐ろしいある囁《ささや》きにきこえたのである。
そりばつてん、Tonka John はまだ氣まぐれな兒であつた。七月が來て觀音樣の晩になれば、町のわかい娘たちはいつも奇麗な踊り小屋を作《こさ》へて、華やかな引幕をひきその中で投げやりな風俗の浮《うき》々と囀《さへ》づりかはしながら踊つた。それにあの情《じやう》の薄く我儘な私と三つ違いの異母姉《ねえ》さんも可哀《かはい》い姿で踊った。五歳《いつつ》六歳《むつつ》の私もまた引き入れられて、眞白に白粉を塗り、派出《はで》なきものをつけて、何がなしに小さい手をひらいて踊つた。
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靜かな晝のお葬式《ともらひ》に、あの取澄《とりす》ました納所坊主の折々ぐわららんと鳴らす鐃※[#「金+拔の旁」、第3水準1−93−6、XXX−9]《ねうはち》の音を聽いたばかりでも笑ひ轉《ころ》げ、單に佛手柑の實が酸《す》ゆかつたといつては世の中をつくづく果敢《はか》なむだ頃の Tonka John の心は今思ふても罪のない鷹揚なものであつた。さうしてその恐ろしく我儘な氣分のなかにも既にしをらしい初戀の芽は萠えてゐた。
美くしい小さな Gonshan.忘れもせぬ七歳《ななつ》の日の水祭《みづまつり》に初めてその兒を見てからといふものは私の羞耻《はにかみ》に滿ちた幼い心臟は紅玉《ルビイ》入の小さな時計でも懷中《ふところ》に匿《かく》してゐるやうに何時となく幽かに顫へ初めた。
私はある夕かた、六騎の貧しい子供らの群に交つて喇叭を鳴らし、腐《くさ》れた野菜と胡蘿葡の汚《よ》ごれた溝《どぶ》どろのそばに、粗末な蓆の小屋をかけて、柔かな羽蟲の縺《もつ》れを哀《かな》しみながら、ただひとり金紙に緋縅の鎧をつけ、鍬形のついた甲を戴き、木太刀を佩いて生眞面目《きまじめ》に芝居の身振をしてゐたことがあつた。さうして魚《さかな》くさい見物のなかに蠶豆の青い液《しる》に小さな指さきを染めて、罪もなくその葉を鳴らしながら、ぱつちりと黒い眸《め》を見ひらいて立つてゐたその兒をちらと私の見出した時に、ただくわつと逆上《のぼせ》て云ふべき臺辭《せりふ》も忘れ、極《きま》り惡《わ》るさに俯向《うつむ》いて了つた――その前を六騎の汚《きた》ない子供らが鼻汁《はな》を垂らし、黒坊《くろんぼ》のやうな赭《あか》つちやけた裸で、不審《ふしん》さうに彼らが小さな主人公の顏を見かへりながら、張合もなく何時までも翻筋斗《とんぼがへり》をしてゐた事を思ひ出す。
あの日はまた穀倉の暗い二階の隅に幕を張り薄青い幻燈の雪を映《うつ》しては、長持のなかに藏《しま》つてある祭の山車《だし》の、金の薄い垂尾《たりを》をいくつとなく下げた、鳳凰の羽《はね》の、あるかなき幽かな囁きにも耳かたむけた。
かうした間にも夏の休暇《やすみ》には必ず山をたづねた。さうして柳河の Tonka John はまたその一郷の罪もない小君主であつた。路に逢ふほどの農人はみな丁寧にその青い頬かむりを解《と》いて會釋した、私はまた何事もわが意の儘に左右し得るものと信じた。而して自分ひとりが特別に天の恩寵に預つてるような勝ち誇つた心になつてたゞ我儘に跳ね囘つた。
黒馬《あを》にもよく乘つた、玉蟲もよく捕へては針で殺した、蟻の穴を獨樂の心棒でほぢくり囘し、石油をかけ、時には憎いもののやうに毛蟲を踏みにじつた。女の子の唇にも毒々しい蝶の粉をなすりつけた。然しながら私は矢張りひとりぼつちだつた。ひとりぼつちで、靜かに蠶室の桑の葉のあひだに坐つて、幽かな音をたてては食み盡くす蠶の眼のふちの無智な薄|褐色《かばいろ》の慄《わなな》きを凝と眺めながら子供ごころにも寂しい人生の何ものかに觸れえたやうな氣がした。
夜になれば一番年のわかい熊本英語學校出の叔父がゆめのやうなその天守の欄干《てすり》に出てよく笛を吹いた。さうして彼方此方《あちらこちら》の秣《まぐさ》や凋れた南瓜の花のかげから山の兒どもが栗毛の汗のついた指で、しんみりと手づくりの笛を吹きはじめる。さうして何時も谷を隔てた圓い丘の上に、また圓《まんま》るな明るい月が夕照《ゆふやけ》の赤く殘った空を恰度《てうど》花札の二十坊主のやうにのぼつたものである。
かういふ時、私は晝の「催眠術」の代償として――この快活な叔父が曾て催眠術の新書を手に入れた事があつた。それからといふものは無理に私を蠶室の暗い一室に連れ込んで怪しい眼付やをかしな手眞似を爲はじめた、私は決して眠らなかつた。始めはよく轉げて笑つたものの、後
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