ほ。

  3

酒袋《さかぶくろ》を干すとて
ぺんぺん草をちらした。
散らしてもよかろ、
その實《み》となるもせんなし。

  4

※[#「酉+元」、第3水準1−91−86、309−1]《もと》すり唄のこころは
わかき男の手にあり。
櫂《かい》をそろへてやんさの[#「やんさの」に傍点]、
そなた戀しと鳴らせる。

  5

麥の穗づらにさす日か、
酒屋男《さかやをとこ》にさす日か、
輕ろく投げやるこころの
けふをかぎりのあひびき。

  6

人の生るるもとすら
知らぬ女子《をなご》のこころに、
誰《た》が馴れ初めし、酒屋の
にほひか、麥のむせびか。

  7

からしの花も實となり、
麥もそろそろ刈らるる。
かくしてはやも五月は
酒|量《はか》る手にあふるる。

  8

櫨《はじ》の實採《みと》りの來る日に
百舌《もず》啼き、人もなげきぬ、
酒をつくるは朝あけ、
君へかよふは日のくれ。

  9

ところも日をも知らねど、
ゆるししひとのいとしさ、
その名もかほも知らねど、
ただ知る酒のうつり香。

  10

足をそろへて磨《と》ぐ米、
水にそろへて流す手、
わかいさびしいこころの
歌をそろゆる朝あけ。

  11

ひねりもちのにほひは
わが知る人も知らじな。
頑《かた》くなのひとゆゑに
何時《いつ》までひねるこころぞ。

  12

微《ほの》かに消えゆくゆめあり、
酒のにほひか、わが日か、
倉の二階にのぼりて
暮春をひとりかなしむ。

  13

さかづきあまたならべて
いづれをそれと嘆かむ、
※[#「口+利」、第3水準1−15−4、314−6]酒《ききざけ》するこころの、
せんなやわれも醉ひぬる。

  14

その酒の、その色のにほひの
口あたりのつよさよ。
おのがつくるかなしみに
囚《と》られて泣くや、わかうど。

  15

酒を釀《かも》すはわかうど、
心亂すもわかうど、
誰とも知れぬ、女の
その兒の父もわかうど。

  16

ほのかに忘れがたきは
酒つくる日のをりふし、
ほのかに鳴いて消えさる
青い小鳥のこころね。

  17

酒屋の倉のひさしに
薊のくさの生ひたり、
その花さけば雨ふり、
その花ちれば日のてる。

  18

計量機《カンカン》に身を載せて
量《はか》るは夏のうれひか、
薊の花を手にもつ
裸男の酒の香。

  19

かなしきものは刺あり、
傷《きず》つき易きこころの
しづかに泣けばよしなや、
酒にも黴《かび》のにほひぬ。

  20

目さまし時計の鳴る夜に
かなしくひとり起きつつ
倉を巡囘《まは》れば、つめたし、
月の光にさく花。

  21

わが眠《ぬ》る倉のほとりに

青き光《ひ》放つものあり、
螢か、酒か、いの寢ぬ、
合歡木《カウカノキ》のうれひか。

  22

倉の隅にさす日は
微《ほの》かに光り消えゆく、
古りにし酒の香にすら、
人にはそれと知られず。

  23

青葱とりてゆく子を
薄日の畑にながめて
しくしく痛《いた》むこころに
酒をしぼればふる雪。

  24

銀の釜に酒を湧かし、
金の釜に酒を冷やす
わかき日なれや、ほのかに
雪ふる、それも歎かじ。

  25

夜ふけてかへるふしどに
かをるは酒か、もやし[#「もやし」に傍点]か、
酒屋男のこころに
そそぐは雪か、みぞれか。


 酒の精


『酒倉に入るなかれ、奧ふかく入るなかれ、弟よ、
そこには怖ろしき酒の精のひそめば。』
『兄上よ、そは小さき魔物《まもの》ならめ、かの赤き三角帽の
西洋のお伽譚《とぎばなし》によく聞ける、おもしろき…………。』
『そは知らじ、然れどもかのわかき下婢《アイヤン》にすら
母上は妄《みだ》りにゆくを許したまはず。』
『そは訝《いぶ》かしきかな、兄上、倉の内には
力強き男らのあまたゐれば恐ろしき筈なし。』
『げにさなり、然れども弟よ、母上は
かのわかき下婢《アイヤン》にすらされどなほゆるしたまはず。
酒倉に入るなかれ、奧ふかく入るなかれ、弟よ。』


 紺屋のおろく


にくいあん畜生は紺屋《かうや》のおろく、
猫を擁《かか》えて夕日の濱を
知らぬ顏して、しやなしやなと。

にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢《きやしや》な指さき濃青《こあを》に染《そ》めて、
金《きん》の指輪もちらちらと。

にくいあん畜生が薄情《はくじやう》な眼つき、
黒の前掛《まえかけ》、毛繻子か、セルか、
博多帶しめ、からころと。

にくいあん畜生と、擁《かか》えた猫と、
赤い入日にふとつまされて
瀉《がた》に陷《はま》つて死ねばよい。ホンニ、ホンニ、…………


 沈丁花


からりはたはた織る機《はた》は
佛蘭西機《ふらんすばた》か、高機《たかはた》か、
ふつととだえたその窓に
守宮《やもり
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