」やその他の異なつた象徴詩の間にも、なほ純なるわかき日の悲しみを頼りなく伴奏しつゝあつた事をせめて首肯して欲しいのである。
 私は兎に角、可憐なさうして手ごろの小さい抒情小曲集を、私のなつかしい人々の手に献げたいと思つて、なるべく自分に親しみの深い、穉い時代の「思ひ出」を茲に集めた。從て私の生ひたちなり、生れた郷土の特色なり、豫め多少は知つて戴く必要がある。

   2

 私の郷里柳河は水郷である。さうして靜かな廢市の一つである。自然の風物は如何にも南國的であるが、既に柳河の街を貫通する數知れぬ溝渠《ほりわり》のにほひには日に日に廢れゆく舊い封建時代の白壁が今なほ懷かしい影を映す。肥後路より、或は久留米路より、或は佐賀より筑後川の流を超えて、わが街に入り來る旅びとはその周圍の大平野に分岐して、遠く近く瓏銀の光を放つてゐる幾多の人工的河水を眼にするであらう。さうして歩むにつれて、その水面の隨所に、菱の葉、蓮、眞菰、河骨、或は赤褐黄緑その他樣々の浮藻の強烈な更紗模樣のなかに微かに淡紫のウオタアヒヤシンスの花を見出すであらう。水は清らかに流れて廢市に入り、廢れはてた Noskai 屋(遊女屋)の人もなき厨の下を流れ、洗濯女の白い洒布に注ぎ、水門に堰かれては、三味線の音の緩む晝すぎを小料理屋の黒いダアリヤの花に歎き、酒造る水となり、汲水《くみづ》場に立つ湯上りの素肌しなやかな肺病娘の唇を嗽ぎ、氣の弱い鵞の毛に擾され、さうして夜は觀音講のなつかしい提燈の灯をちらつかせながら、樋《ゐび》を隔てゝ海近き沖《おき》ノ端《はた》の鹹川《しほかわ》に落ちてゆく[#「落ちてゆく」は底本では「落ゆちてゆく」]、靜かな幾多の溝渠はかうして昔のまゝの白壁に寂しく光り、たまたま芝居見の水路となり、蛇を奔らせ、變化多き少年の秘密を育む。水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である。
     *
 折々の季節につれて四邊の風物も改まる。短い冬の間にも見る影もなく汚れ果てた田や畑に、刈株のみが鋤きかへされたまゝ色もなく乾き盡くし、羽に白い斑紋を持つた怪しげな高麗烏《かうげがらす》(この地方特殊の鳥)のみが廢れた寺院の屋根に鳴き叫ぶ、さうして青い股引をつけた櫨《はじ》の實採りの男が靜かに暮れゆく卵いろの梢を眺めては無言に手を動かしてゐる外には、展望の曠い平野丈に何らの見るべき變化もなく、凡てが陰鬱な光
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