きれ》巻ける奴隷《しもべ》ども
石油《せきゆ》の鑵《くわん》を地に投《な》げて鋭《するど》に泣けど、
この旱《ひでり》何時《いつ》かは止《や》まむ。これやこれ、
饑《うゑ》に堕《お》ちたる天竺《てんぢく》の末期《まつご》の苦患《くげん》。
見るからに気候風《きこうふう》吹く空《そら》の果《はて》
銅色《あかがねいろ》のうろこ雲|湿潤《しめり》に燃《りも》えて
恒河《ガンヂス》の鰐《わに》の脊《せ》のごとはらばへど、
日は爛《ただ》れ、大地《たいち》はあはれ柚色《ゆずいろ》の
熱黄疸《ねつわうだん》の苦痛《くるしみ》に吐息《といき》も得せず。

この恐怖《おそれ》何に類《たぐ》へむ。ひとみぎり
地平《ちへい》のはてを大象《たいざう》の群《むれ》御《ぎよ》しながら
槍《やり》揮《ふる》ふ土人《どじん》が昼の水かひも
終《を》へしか、消ゆる後姿《うしろで》に代《かは》れる列《れつ》は
こは如何《いか》に殖民兵《しよくみんへい》の黒奴《ニグロ》らが
喘《あへ》ぎ曳き来る真黒《まくろ》なる火薬《くわやく》の車輌《くるま》
掲《かか》ぐるは危嶮《きけん》の旗の朱《しゆ》の光
絶えず饑《う》ゑたる心臓《しんざう》の呻《うめ》くに似たり。
[#ここで字下げ終わり]

さはあれど、ここなる華《はな》と、円《まろ》き葉の
あはひにうつる色、匂《にほひ》、青みの光、
ほのほのと沼《ぬま》の水面《みのも》の毒の香も
薄《うす》らに交《まじ》り、昼はなほかすかに顫《ふる》ふ。
[#地付き]四十年十二月


  幽閉

色|濁《にご》るぐらすの戸《と》もて
封《ふう》じたる、白日《まひるび》の日のさすひと間《ま》、
そのなかに蝋《らふ》のあかりのすすりなき。

いましがた、蓋《ふた》閉《とざ》したる風琴《オルガン》の忍《しの》びのうめき。
そがうへに瞳《ひとみ》盲《し》ひたる嬰児《みどりご》ぞ戯れあそぶ。
あはれ、さは赤裸《あかはだか》なる、盲《めし》ひなる、ひとり笑《ゑ》みつつ、
声たてて小さく愛《めぐ》しき生《うまれ》の臍《ほぞ》をまさぐりぬ。

物|病《や》ましさのかぎりなる室《むろ》のといきに、
をりをりは忍び入るらむ戯《おど》けたる街衢《ちまた》の囃子《はやし》、
あはれ、また、嬰児《みどりご》笑ふ。

ことこと[#「ことこと」に傍点]と、ひそかなる母のおとなひ
幾度《いくたび》となく戸を押せど、はては敲《たた》けど、
色濁る扉《とびら》はあかず。
室《むろ》の内《うち》暑く悒鬱《いぶせ》く、またさらに嬰児《みどりご》笑ふ。

かくて、はた、硝子《がらす》のなかのすすりなき
蝋《らふ》のあかりの夜《よ》を待たず尽きなむ時よ。
あはれ、また母の愁《うれひ》の恐怖《おそれ》とならむそのみぎり。

あはれ、子はひたに聴き入る、
珍《めづ》らなるいとも可笑《をか》しきちやるめらの外《そと》の一節《ひとふし》。
[#地付き]四十一年六月


  鉛の室

いんき[#「いんき」に傍点]は赤し。――さいへ、見よ、室《むろ》の腐蝕《ふしよく》に
うちにじみ倦《うん》じつつゆくわがおもひ、
暮春《ぼしゆん》の午後《ごご》をそこはかと朱《しゆ》をば引《ひ》けども。

油じむ末黒《すぐろ》の文字《もじ》のいくつらね
悲しともなく誦《ず》しゆけど、響《ひび》らぐ声《こゑ》は
※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《さ》びてゆく鉛《なまり》の悔《くやみ》、しかすがに、

強《つよ》き薫《くゆり》のなやましさ、鉛《なまり》の室《むろ》は
くわとばかり火酒《ウオツカ》のごとき噎《むせ》びして
壁の湿潤《しめり》を玻璃《はり》に蒸す光の痛《いた》さ。

力《ちから》なき活字《くわつじ》ひろひの淫《たは》れ歌《うた》、
病《や》める機械《きかい》の羽《は》たたきにあるは沁み来《こ》し
新《あた》らしき紙の刷《す》られの香《か》も消《き》ゆる。

いんき[#「いんき」に傍点]や尽きむ。――はやもわがこころのそこに
聴くはただ饐《す》えに饐《す》えゆく匂《にほひ》のみ、――
はた、滓《をり》よどむ壺《つぼ》を見よ。つとこそ一人《ひとり》、

手を棚《たな》へ延《の》すより早く、とくとくと、
赤き硝子《がらす》のいんき[#「いんき」に傍点]罎《びん》傾《かた》むけそそぐ
一刹那《いつせつな》、壺《つぼ》にあふるる火のゆらぎ。

さと燃《も》えあがる間《ま》こそあれ、飜《かへ》ると見れば
手に平《ひら》む吸取紙《すひとりがみ》の骸色《かばねいろ》
爛《ただ》れぬ――あなや、血はしと[#「しと」に傍点]、と卓《しよく》に滴《したた》る。
[#地付き]四十年九月


  真昼

日は真昼《まひる》――野づかさの、寂寥《せきれう》の心《しん》の臓《ざう》にか、
ただひとつ声もなく照りかへ
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