のとどろき。

噴水《ふきあげ》の暮るるしたたり。――
くわとぞ蒸《む》す日のおびえ、晩夏《ばんか》のさけび、
濡れ黄ばむ憂鬱症《ヒステリイ》のゆめ
青む、あな
しとしとと夢はしたたる。
[#地付き]四十一年七月


  顔の印象 六篇

   A 精舎

うち沈む広額《ひろびたひ》、夜《よ》のごとも凹《くぼ》める眼《まなこ》――
いや深く、いや重く、泣きしづむ霊《たまし》の精舎《しやうじや》。
それか、実《げ》に声もなき秦皮《とねりこ》の森のひまより
熟視《みつ》むるは暗《くら》き池、谷そこの水のをののき。
いづこにか薄日《うすひ》さし、きしりこきり[#「きしりこきり」に傍点]斑鳩《いかるが》なげく
寂寥《さみしら》や、空の色なほ紅《あけ》ににほひのこれど、
静かなる、はた孤独《ひとり》、山間《やまあひ》の霧にうもれて
悔《くい》と夜《よ》のなげかひを懇《ねもごろ》に通夜《つや》し見まもる。

かかる間《ま》も、底ふかく青《あを》の魚|盲《めし》ひあぎとひ、
口そそぐ夢の豹《へう》水の面《も》に血音《ちのと》たてつつ、
みな冷《ひ》やき石の世《よ》と化《な》りぞゆく、あな恐怖《おそれ》より。

かくてなほ声もなき秦皮《とねりこ》よ、秘《ひそ》に火ともり、
精舎《しやうじや》また水晶と凝《こご》る時《とき》愁《うれひ》やぶれて
響きいづ、響きいづ、最終《いやはて》の霊《たま》の梵鐘《ぼんしよう》。
[#地付き]以下五篇――四十一年三月


   B 狂へる街

赭《あか》らめる暗《くら》き鼻、なめらかに禿《は》げたる額《ひたひ》、
痙攣《ひきつ》れる唇《くち》の端《はし》、光なくなやめる眼《まなこ》
なにか見る、夕栄《ゆふばえ》のひとみぎり噎《むせ》ぶ落日《いりひ》に、
熱病《ねつびやう》の響《ひびき》する煉瓦家《れんぐわや》か、狂へる街《まち》か。

見るがまに焼酎《せうちう》の泡《あわ》しぶきひたぶる歎《なげ》く
そが街《まち》よ、立てつづく尖屋根《とがりやね》血ばみ疲《つか》れて
雲赤くもだゆる日、悩《なや》ましく馬車《ばしや》駆《か》るやから
霊《たましひ》のありかをぞうち惑《まど》ひ窓《まど》ふりあふぐ。

その窓《まど》に盲《めし》ひたる爺《をぢ》ひとり鈍《にぶ》き刃《は》研《と》げる。
はた、唖《おふし》朱《しゆ》に笑ひ痺《しび》れつつ女《をみな》を説《と》ける。
次《つぎ》なるは聾《ろう》しぬる清き尼《あま》三味線《しやみせん》弾《ひ》ける。

しかはあれ、照り狂ふ街《まち》はまた酒と歌とに
しどろなる舞《まひ》の列《れつ》あかあかと淫《たは》れくるめき、
馬車《ばしや》のあと見もやらず、意味《いみ》もなく歌ひ倒《たふ》るる。


   C 醋の甕

蒼《あを》ざめし汝《な》が面《おもて》饐《す》えよどむ瞳《ひとみ》のにごり、
薄暮《くれがた》に熟視《みつ》めつつ撓《たわ》みちる髪の香《か》きけば――
醋《す》の甕《かめ》のふたならび人もなき室《むろ》に沈みて、
ほの暗《くら》き玻璃《はり》の窓ひややかに愁《うれ》ひわななく。

外面《とのも》なる嗟嘆《なげかひ》よ、波もなきいんく[#「いんく」に傍点]の河に
旗青き独木舟《うつろぶね》そこはかと巡《めぐ》り漕ぎたみ、
見えわかぬ悩《なやみ》より錨《いかり》曳《ひ》き鎖《くさり》巻かれて、
伽羅《きやら》まじり消え失《う》する黒蒸汽《くろじようき》笛《ふえ》ぞ呻《うめ》ける。

吊橋《つりばし》の灰白《はひじろ》よ、疲《つか》れたる煉瓦《れんぐわ》の壁《かべ》よ、
たまたまに整《ととの》はぬ夜《よ》のピアノ淫《みだ》れさやげど、
ひとびとは声もなし、河の面《おも》をただに熟視《みつ》むる。
はた、甕《かめ》のふたならび、さこそあれ夢はたゆたひ、
内と外《そと》かぎりなき懸隔《へだたり》に帷《とばり》堕《お》つれば、
あな悲し、あな暗《くら》し、醋《す》の沈黙《しじま》長くひびかふ。

   D 沈丁花

なまめけるわが女《をみな》、汝《な》は弾《ひ》きぬ夏の日の曲《きよく》、
悩《なや》ましき眼《め》の色に、髪際《かうぎは》の紛《こな》おしろひに、
緘《つぐ》みたる色あかき唇《くちびる》に、あるはいやしく
肉《ししむら》の香《か》に倦《う》める猥《みだ》らなる頬《ほ》のほほゑみに。

響《ひび》かふは呪《のろ》はしき執《しふ》と欲《よく》、ゆめもふくらに
頸《うなじ》巻く毛のぬくみ、真白《ましろ》なるほだしの環《たまき》
そがうへに我ぞ聴《き》く、沈丁花《ぢんてうげ》たぎる畑《はたけ》を、
堪《た》へがたき夏の日を、狂《くる》はしき甘《あま》きひびきを。

しかはあれ、またも聴く、そが畑《はた》に隣《とな》る河岸《かし》側《きは》、
色ざめし浅葱幕《あさぎまく》
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