《よ》に入る子らが身の運《はこ》び、太皷ぞ鳴れる。

水落つ、たた[#「たた」に傍点]と…………もの甘く、あるひは赤く、
うらわかきわれの素肌《すはだ》に沁《し》みきたる
鉄《てつ》のにほひと、腐《くさ》れゆく石鹸《しやぼん》のしぶき。
水面《みのも》には荷足《にたり》の暮れて呼ぶ声す、太皷ぞ鳴れる。

水落つ、たた[#「たた」に傍点]と…………たた[#「たた」に傍点]とあな音色《ねいろ》柔《やは》らに、
大理石《なめいし》の苦悩《なやみ》に湯気《ゆげ》は濃《こ》く、温《ぬ》るく、
鈍《にぶ》きどよみと外光《ぐわいくわう》のなまめく靄に
疲《つか》れゆく赤き都会《とくわい》のらうたげさ、太皷ぞ鳴れる。
[#地付き]四十一年八月


  入日の壁

黄《き》に潤《しめ》る港の入日《いりひ》、
切支丹《きりしたん》邪宗《じやしゆう》の寺の入口《いりぐち》の
暗《くら》めるほとり、色古りし煉瓦《れんぐわ》の壁に射かへせば、
静かに起る日の祈祷《いのり》、
『ハレルヤ』と、奥にはにほふ讃頌《さんしよう》の幽《かす》けき夢路《ゆめぢ》。

あかあかと精舎《しやうじや》の入日。――
ややあれば大風琴《おほオルガン》の音《ね》の吐息《といき》
たゆらに嘆《なげ》き、白蝋《はくらふ》の盲《し》ひゆく涙。――
壁のなかには埋《うづ》もれて
眩暈《めくるめ》き、素肌《すはだ》に立てるわかうどが赤き幻《まぼろし》。

ただ赤き精舎《しやうじや》の壁に、
妄念《まうねん》は熔《とろ》くるばかりおびえつつ
全身《ぜんしん》落つる日を浴《あ》びて真夏《まなつ》の海をうち睨《にら》む。
『聖《サンタ》マリヤ、イエスの御母《みはは》。』
一斉《いつせい》に礼拝《をろがみ》終《をは》る老若《らうにやく》の消え入るさけび。
はた、白《しら》む入日の色に
しづしづと白衣《はくえ》の人らうちつれて
湿潤《しめり》も暗き戸口《とぐち》より浮びいでつつ、
眩《まぶ》しげに数珠《じゆず》ふりかざし急《いそ》げども、
など知らむ、素肌《すはだ》に汗《あせ》し熔《とろ》けゆく苦悩《くなう》の思《おもひ》。

暮れのこる邪宗《じやしゆう》の御寺《みてら》
いつしかに薄《うす》らに青くひらめけば
ほのかに薫《くゆ》る沈《ぢん》の香《かう》、波羅葦増《ハライソ》のゆめ。
さしもまた埋《うも》れて顫《ふる》ふ妄念《まうねん
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