オかに蒸汽《じようき》の鈍《にぶ》き船腹《ふなばら》の
ごとくに光りかぎろひし瘋癲院《ふうてんゐん》も暮れゆけば、
ただ冷《ひ》えしぶく茴香酒《アブサント》、鋭《するど》き玻璃《はり》のすすりなき。

草場《くさば》の赤き一群《ひとむれ》よ、眼《め》ををののかし、
躍《をど》り泣き弾《ひ》きただらかす歓楽《くわんらく》の
はてしもあらぬ色盲《しきまう》のまぼろしのゆめ……
午後の七時の印象《いんしやう》はかくて夜《よ》に入る。

空気は苦《にが》し……はや暗《くら》し……黄《き》に……なほ青く……
[#地付き]四十一年九月


  風のあと

夕日《ゆふひ》はなやかに、
こほろぎ啼《な》く。
あはれ、ひと日、木の葉ちらし吹き荒《すさ》みたる風も落ちて、
夕日《ゆふひ》はなやかに、
こほろぎ啼く。
[#地付き]四十一年八月


  月の出

ほのかにほのかに音色《ねいろ》ぞ揺《ゆ》る。
かすかにひそかににほひぞ鳴る。
しみらに列《なみ》立《た》つわかき白楊《ぽぴゆら》、
その葉のくらみにこころ顫《ふる》ふ。

ほのかにほのかに吐息《といき》ぞ揺る。
かすかにひそかに雫《しづく》ぞ鳴る。
あふげばほのめくゆめの白楊《ぽぴゆら》、
愁《うれひ》の水《み》の面《も》を櫂《かい》はすべる。

吐息《といき》のをののき、君が眼《め》ざし
やはらに縺《もつ》れてたゆたふとき、
光のひとすぢ――顫《ふる》ふ白楊《ぽぴゆら》
文月《ふづき》の香炉《かうろ》に濡れてけぶる。

さてしもゆるけくにほふ夢路《ゆめぢ》、
したたりしたたる櫂《かい》のしづく、
薄らに沁《し》みゆく月のでしほ
ほのかにわれらが小舟《をふね》ぞゆく。

ほのめく接吻《くちつけ》、からむ頸《うなじ》、
いづれか恋慕《れんぼ》の吐息《といき》ならぬ。
夢見てよりそふわれら、白楊《ぽぴゆら》、
水上《みなかみ》透《す》かしてこころ顫《ふる》ふ。
[#地付き]四十一年二月
[#改丁]

  外光と印象

近世仏国絵画の鑑賞者をわかき旅人にたとへばや。もとより Watteau の羅曼底、Corot の叙情詩は唯微かにそのおぼろげなる記憶に残れるのみ。やや暗き Fontainebleau の森より曇れる道を巴里の市街に出づれば Seine の河、そが上の船、河に臨める 〔Cafe'〕 の、皆「刹那」の如くしるく明かなる Man
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