ヤ《あか》し……うち曇り黄《き》ばめる夕《ゆふべ》、
『十月《じふぐわつ》』は熱《ねつ》を病《や》みしか、疲《つか》れしか、
濁《にご》れる河岸《かし》の磨硝子《すりがらす》脊《せ》に凭りかかり、
霧の中《うち》、入日《いりひ》のあとの河《かは》の面《も》をただうち眺《なが》む。

そことなき櫂《かい》のうれひの音《ね》の刻《きざ》み……
涙のしづく……頬にもまたゆるきなげきや……

ややありて麪包《パン》の破片《かけら》を手にも取り、
さは冷《ひや》やかに噛《か》みしめて、来《きた》るべき日の
味《あぢ》もなき悲しきゆめをおもふとき……

なほもまた廉《やす》き石油《せきゆ》の香《か》に噎《むせ》び、
腐《くさ》れちらぼふ骸炭《コオクス》に足も汚《よ》ごれて、
小蒸汽《こじやうき》の灰《はひ》ばみ過《す》ぎし船腹《ふなばら》に
一《ひと》きは赤《あか》く輝《かが》やきしかの※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]枠《まどわく》を忍ぶとき……

月光《つきかげ》ははやもさめざめ……涙さめざめ……
十月《じふぐわつ》の暮れし片頬《かたほ》を
ほのかにもうつしいだしぬ。
[#地付き]四十一年十二月


  接吻の時

薄暮《くれがた》か、
日のあさあけか、
昼か、はた、
ゆめの夜半《よは》にか。

そはえもわかね、燃《も》えわたる若き命《いのち》の眩暈《めくるめき》、
赤き震慄《おびえ》の接吻《くちつけ》にひたと身《み》顫《ふる》ふ一刹那《いつせつな》。

あな、見よ、青き大月《たいげつ》は西よりのぼり、
あなや、また瘧《ぎやく》病《や》む終《はて》の顫《ふるひ》して
東へ落つる日の光、
大《おほ》ぞらに星はなげかひ、
青く盲《めし》ひし水面《みのも》にほ薬香《くすりが》にほふ。
あはれ、また、わが立つ野辺《のべ》の草は皆色も干乾《ひから》び、
折り伏せる人の骸《かばね》の夜《よ》のうめき、
人霊色《ひとだまいろ》の
木《き》の列《れつ》は、あなや、わが挽歌《ひきうた》うたふ。

かくて、はや落穂《おちぼ》ひろひの農人《のうにん》が寒き瞳よ。
歓楽《よろこび》の穂のひとつだに残《のこ》さじと、
はた、刈り入るる鎌の刃《は》の痛《いた》き光よ。
野のすゑに獣《けもの》らわらひ、
血に饐《す》えて汽車《きしや》鳴き過《す》ぐる。

あなあはれ、あなあはれ、
二人《ふたり》
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