色な菓子でも飴のやうに滑《すべ》つこいのはぬめぬめした油絵や水で洗ひあげたやうな水彩画と同様に近代人の繊細な感覚に快い反応を起しうる事は到底不可能である。
新様の仏蘭西《(ふらんす)》芸術のなつかしさはその品の高い鋭敏な新らしいタツチの面白さにある。一寸触つても指に付いてくる六月の棕梠《(しゆろ)》の花粉のやうに、月夜の温室の薄い硝子のなかに、絶えず淡緑の細花を顫はせてゐるキンギン草のやうに、うら若い女の肌の弾力のある軟味に冷々とにじみいづる夏の日の冷めたい汗のやうに、近代人の神経は痛いほど常に顫へて居らねばならぬ。私はそんな風に感じたのである。
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短歌は一箇の小さい緑の古宝玉である、古い悲哀時代のセンチメントの精《エツキス》である。古いけれども棄てがたい、その完成した美くしい形は東洋人の二千年来の悲哀のさまざまな追憶《おもひで》に依てたとへがたない悲しい光沢をつけられてゐる。その面には玉虫のやうな光やつつましい杏仁水《(きようにんすゐ)》のやうな匂乃至一絃琴や古い日本の笛のやうな素朴な Lied のリズムが動《うご》いてゐる。なつかしいではないか、若いロセツチが生
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