りませんので凡てを人々の判断にお任せしたいと存じます、尚又自己の利益の為めにこの上他の人に不愉快な内省の時間を与へたり、少しでも自己を美くしいものに見做したり致しますのは如何にも男らしく無い様にも思はれますので、ここには何等の相当な弁解も致しません。また強ひて試みたところで何時の世にもその当時に於ける民衆の正しい理解は到底求め得られるものでは御座いません。芸術家の立場としてはたゞ敬虔にして信実な高い芸術の力に頼る外に最上の謙徳は無い、――と、かうしみじみと小生には考へ得られましたのです。
兎に角、小生が他の妻女たる人と苦しい恋に堕ちかかつてゐて猶旦二人共長い間耐え忍んでゐた事も事実ですし、激しい盲目的な愛情の為に夫も棄てその子も棄て真に棄身《すてみ》になつて縋りついて来た女に対して終に自己の平時の聡明に自ら克ち得なかつた事も極めて浅ましい最近の事実で御座います。小生も全たくまよひました。而して愚かな狂熱の坩壺《るつぼ》の中に一切の智慧も理性も哀楽も焼け爛らして了つたのです。冷酷な自己批判の笞《しもと》は一々哀れな霊魂を鞭ちます――如何にも小生は立派な倫理道徳の汚辱者に相違御座いません。刑事上は一罪因に相違御座いません。既に社会の醜汚なる一員として相応な社会の制裁は当然甘じて受くべきものに相違御座いません。凡てがまた美しい因襲の範囲内に於てかかる道ならぬ恋の破滅は無論其の当初から覚悟して居らなければならなかつたのです。曾てある仲介者自身の何等かの陋しい目的の為に彼女の自殺を虚構した時、苦しさと耻かしさと不憫さとに愈自分も自殺と覚悟した朝迄朱欒七月号の原稿整理と「桐の花」の編輯とを急速に仕上げねばならなかつた悲しい詩人の意気地に母を泣かしたのも事実に相違御座いません、而してその死が虚偽の策略であつたといふ事も駆けつけて行つた小生の友人の靴の中にそつと忍ばしてあつた女の密書で判然した時、気落ちした様に「桐の花」の原稿を投げ棄てて小生と母と二人|欷歔《ききよ》したのも――それから如何に逃れ難い悲哀の面《おもて》に面接したとはいへ、貴重なるべき自己の一身を斯程迄に安々と弱々しく悲しく所決するといふ事は、如何にも人間としてまた芸術家として、男として余りに卑怯な所業だつたと気を飜へした時、あらゆる苦痛と迫害と屈辱の凡てに対して必要な勇気と忍耐とを美くしい謙譲のかげに用意して、見
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