さま、御着座《おちゃくざ》。(額)
ふたりの御家来《ごけらい》。(両方の眼)
おんどり。(右のほお)
めんどり。(左のほお)
いそいで御入来《ごじゅらい》。(口)
  チンチョッパア、チンチョッパア。
  チンチョッパア、チン。(あごをなでる)
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 このベル

このベルならした。
 (髪の毛を一つまみ、ひっぱる)
このドアたたいた。
 (額をたたく)
この錠《じょう》はずした。
 (鼻をつまみあげる)
さあ、さあ、はいりましょ。
 (口をあいて指を中へつっこむ)
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 足

二本足がすわった、三本足の上に。
一本足をしゃぶった。
四本足《しほんあし》がやってきて、
一本足さらってにげてった。
二本足がとびあがり、
三本足をひっつかみ、
四本足めがけてなげつけた。
そこで一本足をとりかァえした。

  (注)一本足は牛の骨、二本足は人間、三本足は腰かけ、四本足は犬。
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 一番目のお床

一番さきにねた子に金の財布《さいふ》、
二番目にねた子に金の雉子《きじ》、
三番目にねた子に金の小鳥。
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 おしまい

よぼよぼがらすが
一羽地にとまった。
そこでお謡《うた》もちゃんちゃんだ。
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 巻末に

「マザア・グウス」の童謡は市井《しせい》の童謡である。純粋な芸術家の手になったのではなかろう。しかし、それだからといって一概に平俗野卑だというわけにはゆかない。日本の在来の童謡、すなわち私たちが子供のときにいつも手拍子をたたいてはうたったかの童謡はやはり民衆それ自身のものであった。だれのなにがしという有名な詩人の手になったのではない。自然にわきあがってきた民族としての子供の声であった。その中にはむろん平俗なのもあった、いかがわしい猥雑《わいざつ》なおとなのものもあった。しかしほんとうの子供の声はその中にあった。すぐれて光っていた。これを思わなくてはならない。本来の民謡なるものは、野山の木萱《きかや》のそよぎそのものからおのずとわきでたものである。はじめはだれが歌ったとなく歌いだされて、つぎつぎに歌い伝えられて、歌いなおされて、ほんとうに洗練されたいいものばかりが永く残ることになったのである。で、その長い民族精神の伝統ということについて充分に尊重しなければならない。この意味で日本在来の童謡は日本の童謡の本
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