斉に動く時に、背負つてゐる小さい太鼓の列も一つの集団的な運動の役目を補助するだらう。
三
旧約詩篇に、『なんぢの雷鳴《いかづち》のこゑ』、『ヱホバは天に雷鳴《いかづち》をとどろかせたまへり』とあつたり、フアウストに、『日は合唱の音を立ててゐる。そして霹靂《へきれき》の歩みをして、極《き》まつた軌道を行く処まで行く』などとあるのは、ただの天然顕象として取扱つてゐないが、宗達画風のああいふ形態ではない。
雷電は夏季のものとされてゐるが、春雷冬雷の語はまた特殊の気味を持つてゐる。昭和五年十一月であつた。満洲里では連日細かい雪が降つたが、南下すると雪が少く四平街では雪が無かつた。
四平街に一泊し翌日|鄭家屯《ていかとん》に行つた。私を導いた八木沼氏が、鴻雁《こうがん》の南下する壮大な光景を私に見せようと思つたのであつた。鄭家屯は遼源《れうげん》ともいひ今ではその方が通りが好いが、其処《そこ》の近くにオポ山といふ小山がある。
その山に登れば雁の飛ぶのを見ることが出来るだらうといふので、鄭家屯の満鉄支社長宅に一泊し、水害で荒された道を馬車で難行して、オポ山に登り、荒涼といはう
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