暗緑に塗つたかとおもふと、雷神の方を白い胡粉《ごふん》で塗つて居る。これも先蹤《せんしよう》があつて宗達の工夫がそんなに働いてゐないのかも知れないが、雷神の方を白くする方が、配合のいろいろな関係でやはり動かないところであらうか。そしてあれならば大名などが静謐《せいひつ》な部屋に置いて落著《おちつ》いて鑑賞することも出来るし、光琳《くわうりん》、抱一《はういつ》の二家が臨摸《りんぼ》して後の世まで伝はつてゐるのもさういふわけ合《あひ》で、肉体的に恐ろしくないからである。
 そこで、レヴユーといふものが次から次へと変化発達して行つてゐるが、西暦一九二四年ごろの巴里《パリ》の本場でも、あんな風に美女が皎《しろ》い歯を見せつつ、長い脚を一斉に上げたり下げたり、米搗《こめつき》の杵《きね》が一斉に臼《うす》の中に落ちたり上つたりするやうな具合にまでは行つてゐなかつたやうであるが、当今ではあんな風にまで発達した。
 若し長い脚の美女たちが、白い雷神の面をば丁度越後獅子のするやうに額のところに冠つて、巴里のムーランルージユあたりの舞台で一斉にレヴユーをやつたら喝采《かつさい》を博すだらう。長い脚が一
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