、あの場面を幻影として一つのアヴアンチユールを形成することになつてゐるが、これもまた菊池氏の手腕であつた。
併し、西鶴とてもいつもああいふ手厳しいものをのみ取扱つてはゐない。好色一代男に、『雷の鳴る時は、近寄りて頭まで隠せしこと』云々といふところがあるから、一方当時の読者と雖《いへど》も、西鶴のこの一句から様々の冒険の心を湧《わ》かしたかも知れないのである。
この句に続いて、『今思へば独身はと悲しく』といふ文句があるから、世之介も、三千七百四十二人の女の一人としての経験をばこの一句に託して、別離ののちの感慨に蜘蛛《くも》の糸のごとくに続けさせてゐるのである。
雷電の畏怖も、『近寄りて頭まで隠せしこと』の程度が好かるべく、武道伝来記の悲劇でなくて、近ごろ流行する『夫婦和合の秘訣』の一端ともなるであらう。私如き者と雖《いへども》それに異存は無い。
二
雷はその響が猛烈で、直接行動に出るときには襲撃的、爆破的であるのは、たまたま山越えなどをして大樹が無残になつて裂かれ居るのを見てもわかる。
ところがその爆撃も穉児《ちご》どもの臍《へそ》をねらふといふことになると、おなじく恐ろしくとも可憐《かれん》な気持が出て来て好いものである。やはり西鶴の文であつたとおもふが、『神鳴臍を心|懸《が》け』といふのがあつた。これは雷鳴があつて強く夕立するときの形容で、美文まがひの西鶴流ユーモアを漂はせてゐるのである。
一体この神鳴が臍を狙《ねら》ふといふことは、私は目下その起原を知らぬし、又調べる便利も持たないが、柳田先生あたりの論文には既に其事に関する豊富な内容が盛られてゐるに相違ない。
正岡子規の明治三十一年の歌に『神鳴のわづかに鳴れば唐茄子《たうなす》の臍とられじと葉隠れて居り』といふのがあつた。頑童等の臍から聯想したものだが、これも俳諧的に可憐で恐ろしくないところがおもしろい。
たとへばワーテルローの陣に雷が落ちて将軍級のもの、ネーあたりが撃たれて死んだと云つても、雷をば角の生えた虎《とら》の皮の犢鼻褌《ふんどし》をした生物とはいかにしても聯想が向かない。
これに反して、頑童らの臍を狙ふといふことになれば、その狙ふものに太鼓を輪|貫《ぬ》きに光背のやうに負うてゐる生物を聯想する方が自然である。そして宗達が風神雷神を画いたとき、風神の体躯《たいく》の色を
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