せば岸《きし》の埴土《はにふ》ににほはさましを」(巻一・六九)という歌がある。この清江娘子は弟日娘子《おとひおとめ》だろうという説があるが、或は娘子は一人のみではなかったのかも知れない。住吉の岸の黄土で衣を美しく摺《す》って記念とする趣である。「旅ゆく」はいよいよ京へお帰りになることで、名残を惜しむのである。情緒が纏綿《てんめん》としているのは、必ずしも職業的にのみこの媚態《びたい》を示すのではなかったであろう。またこれを万葉巻第一に選び載せた態度もこだわりなくて円融《えんゆう》とも称すべきものである。
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大和《やまと》には鳴《な》きてか来《く》らむ呼子鳥《よぶこどり》象《きさ》の中山《なかやま》呼《よ》びぞ越《こ》ゆなる 〔巻一・七〇〕 高市黒人
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持統天皇が吉野の離宮に行幸せられた時、扈従《こじゅう》して行った高市連黒人《たけちのむらじくろひと》が作った。呼子鳥はカッコウかホトトギスか、或は両者ともにそう云われたか、未だ定説が無いが、カッコウ(閑古鳥)を呼子鳥と云った場合が最も多いようである。「象の中山」
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