となっている点に強みがある。そこで、「霜ふりて」と断定した表現が利くのである。「葦べ行く」という句にしても稍《やや》ぼんやりしたところがあるけれども、それでも全体としての写象はただのぼんやりではない。
 集中には、「埼玉《さきたま》の小埼の沼に鴨ぞ翼《はね》きる己が尾に零《ふ》り置ける霜を払ふとならし」(巻九・一七四四)、「天飛ぶや雁の翅《つばさ》の覆羽《おほひは》の何処《いづく》もりてか霜の降りけむ」(巻十・二二三八)、「押し照る難波ほり江の葦べには雁|宿《ね》たるかも霜の零《ふ》らくに」(同・二一三五)等の歌がある。

           ○

[#ここから5字下げ]
あられうつ安良礼松原《あられまつばら》住吉《すみのえ》の弟日娘《おとひをとめ》と見《み》れど飽《あ》かぬかも 〔巻一・六五〕 長皇子
[#ここで字下げ終わり]
 長皇子《ながのみこ》(天武天皇第四皇子)が、摂津の住吉海岸、安良礼松原で詠まれた御歌で、其処にいた弟日娘《おとひおとめ》という美しい娘と共に松原を賞したもうた時の御よろこびである。この歌の「と」の用法につき、あられ松原と[#「と」に白丸傍点]弟日娘と[#「
前へ 次へ
全531ページ中78ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング