染の趣で、必ずしも摺染めにすることではない。つまり「衣にほはせ」の気持である。なお、榛はハギかハンかという問題で、「いざ子ども大和へはやく白菅の真野の榛原手折りてゆかむ」(巻三・二八〇)の中の、「手折りてゆかむ」はハギには適当だが、ハンには不適当である。その次の歌、「白菅の真野の榛原ゆくさ来さ君こそ見らめ真野の榛原」(同・二八一)もやはりハギの気持である。以上を綜合《そうごう》して、「引馬野ににほふ榛原」も萩の花で、現地にのぞんでの歌と結論したのであった。以上は結果から見れば皆新しい説を排して旧《ふる》い説に従ったこととなる。
○
[#ここから5字下げ]
いづくにか船泊《ふなはて》すらむ安礼《あれ》の埼《さき》こぎ回《た》み行《ゆ》きし棚無《たなな》し小舟《をぶね》 〔巻一・五八〕 高市黒人
[#ここで字下げ終わり]
これは高市黒人《たけちのくろひと》の作である。黒人の伝は審《つまびらか》でないが、持統文武両朝に仕えたから、大体柿本人麿と同時代である。「船泊《ふなはて》」は此処では名詞にして使っている。「安礼の埼」は参河《みかわ》国の埼であろうが現在の何処《
前へ
次へ
全531ページ中72ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング