う歌句の人麿の歌にも無いのは、人麿はこういう実際を余り見なかったせいもあるだろう。作歌のおもしろみは這般《しゃはん》の裡《うち》にも存じて居り、作者生活の背景ということにも自然|関聯《かんれん》してくるのである。下の句もまた、越中にあって寂しい生活をしているので、都をおもう情と共にこういう感慨がおのずと出たものと見える。
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巻第十九

           ○

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春《はる》の苑《その》くれなゐにほふ桃《もも》の花《はな》した照《て》る道《みち》に出《い》で立《た》つ※[#「女+感」、下−156−4]嬬《をとめ》 〔巻十九・四一三九〕 大伴家持
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 大伴家持が、天平勝宝二年三月一日の暮に、春苑《はるのその》の桃李花《ももすもものはな》を見て此歌を作った。「くれなゐにほふ」は赤い色に咲き映《は》えていること、「した照る道」は美しく咲いている桃花で、桃樹の下かげ迄《まで》照りかがやくように見える、その下かげの道をいう。「橘のした照る庭に殿立てて酒宴《さかみづき》いますわが大君かも」(巻十八・四〇五九)、「あしひきの山下《やました
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