うに海浪に濡れつつ伊良虞《いらご》島の玉藻を苅って食べている、というのである。流人でも高貴の方だから実際海人のような業をせられなくとも、前の歌に「玉藻苅ります」といったから、「玉藻苅り食す」と云われたのである。なお結句を古義ではタマモカリハムと訓み、新考(井上)もそれに従った。この一首はあわれ深いひびきを持ち、特に、「うつせみの命ををしみ」の句に感慨の主点がある。万葉の歌には、「わたつみの豊旗雲に」の如き歌もあるが、またこういう切実な感傷の歌もある。悲しい声であるから、堂々とせずにヲシミ・ナミニヌレのあたりは、稍小きざみになっている。「いのち」のある例は、「たまきはる命惜しけど、せむ術《すべ》もなし」(巻五・八〇四)、「たまきはる命惜しけど、為むすべのたどきを知らに」(巻十七・三九六二)等である。
 麻続王が配流《はいる》されたという記録は、書紀には因幡《いなば》とあり、常陸風土記には行方郡板来《なめかたのこおりいたく》村としてあり、この歌によれば伊勢だから、配流地はまちまちである。常陸の方は伝説化したものらしく、因幡・伊勢は配流の場処が途中変ったのだろうという説がある。そうすれば説明
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