とこは》にもがも」(巻十四・三四三六)等がある。
十市皇女は大友皇子(弘文天皇)御妃として葛野王《かどののおおきみ》を生んだが、壬申乱《じんしんのらん》後大和に帰って居られた。皇女は天武天皇七年夏四月天皇伊勢斎宮に行幸せられんとした最中に卒然として薨ぜられたから、この歌はそれより前で、恐らく、四年春二月参宮の時でもあろうか。さびしい境遇に居られた皇女だから、老女が作ったこの祝福の歌もさびしい心を背景としたものとおもわねばならぬ。
○
[#ここから5字下げ]
うつせみの命《いのち》を惜《を》しみ波《なみ》に濡《ぬ》れ伊良虞《いらご》の島《しま》の玉藻《たまも》苅《か》り食《を》す 〔巻一・二四〕 麻続王
[#ここで字下げ終わり]
麻続王《おみのおおきみ》が伊勢の伊良虞《いらご》に流された時、時の人が、「うちそを麻続《をみ》の王《おほきみ》海人《あま》なれや伊良虞が島の玉藻《たまも》刈ります」(巻一・二三)といって悲しんだ。「海人なれや」は疑問で、「海人だからであろうか」という意になる。この歌はそれに感傷して和《こた》えられた歌である。自分は命を愛惜してこのよ
前へ
次へ
全531ページ中46ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング