、明。阿加之《アカシ》、佐也加爾在《サヤカニアリ》、佐也介之《サヤケシ》、明介志《アキラケシ》(阿支良介之《アキラケシ》)等とあり、類聚名義抄《るいじゅうみょうぎしょう》に、明[#(可在月)] アキラカナリ、ヒカル等とあるのを見ても、サヤケシ、アキラケシの流用を認め得るのである。結論[#「結論」に白丸傍点]、万葉時代に月光の形容にアキラケシと使ったと認めて差支ない[#「万葉時代に月光の形容にアキラケシと使ったと認めて差支ない」に白丸傍点]。
次に、結句の「己曾」であるが、これも万葉集では、結びにコソと使って、コソアラメと云った例は絶対に無いという反対説があるのだが、平安朝になると、形容詞からコソにつづけてアラメを省略した例は、「心美しきこそ」、「いと苦しくこそ」、「いとほしうこそ」、「片腹いたくこそ」等をはじめ用例が多いから、それがもっと時代が溯《さかのぼ》っても、日本語として、絶対に使わなかったとは謂えぬのである。特に感動の強い時、形式の制約ある時などにこの用法が行われたと解釈すべきである。なお、安伎良気伎《アキラケキ》、明久《アキラケク》、左夜気伎《サヤケキ》、左夜気久《サヤケク
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