事をいっているその心持と、暁天の清潔とが相待って、快い一首を為上《しあ》げて居る。鑑賞の時、どうしても意味を一つに極《き》めなければならぬとせば、やはり女が男にむかって云った言葉として受納《うけい》れる方がいいのではあるまいか。略解《りゃくげ》にも、「男の別れむとする時、女の詠めるなるべし」と云っている。
 次手《ついで》に云うと、この歌の一つ前に、「あしひきの山椿《やまつばき》咲く八峰《やつを》越え鹿《しし》待つ君が斎《いは》ひ妻《づま》かも」(巻七・一二六二)というのがある。これは、猟師が多くの山を越えながら鹿《しし》の来るのを、心に期待して、隠れ待っている気持で、そのように大切に隠して置く君の妻よというのである。「斎《いは》ひ妻」などいう語は、現代の吾等には直ぐには頭に来ないが、繰返し読んでいるうちに馴れて来るのである。つまり神に斎《いつ》くように、粗末にせず、大切にする妻というので、出て来る珍らしい獲物《えもの》の鹿を大切にする気持と相通じて居る。「鹿待つ」までは序詞だが、こういう実際から来た誠に優れた序詞が、万葉になかなか多いので、その一例を此処に示すこととした。

    
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