満ちて来て、干潟が無くなるから、干潟に集まっていた沢山の鶴が、葦の生えて居る陸の方に飛んで行く、というのである。
 やはり此歌も清潔な感じのする赤人一流のもので、「葦べをさして鶴《たづ》鳴きわたる」は写象鮮明で旨いものである。また声調も流動的で、作者の気乗していることも想像するに難くはない。「潟をなみ」は、赤人の要求であっただろうが、微かな「理」が潜んでいて、もっと古いところの歌ならこうは云わない。例えば、既出の高市黒人作、「桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟《あゆちがた》潮干《しほひ》にけらし鶴鳴きわたる」(巻三・二七一)の如きである。つまり「潟をなみ」の第三句が弱いのである。これはもはや時代的の差違であろう。この歌は、古来有名で、叙景歌の極地とも云われ、遂には男波・女波・片男波の聯想にまで拡大して通俗化せられたが、そういう俗説を洗い去って見て、依然として後にのこる歌である。万葉集を通読して来て、注意すべき歌に標《しるし》をつけるとしたら、従来の評判などを全く知らずにいるとしても、標のつかる性質のものである。一般にいってもそういういいところが赤人の歌に存じているのである。ただこの歌に先行した
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