時に違《たが》はば、必ず明《めい》を喪《うしな》ふ泣《なみだ》を致さむ。哀しきかも我が父、痛ましきかも我が母、一身死に向ふ途を患《うれ》へず、唯二親世に在《いま》す苦を悲しぶ。今日長く別れなば、何れの世にか覲《み》ることを得む。乃《すなは》ち歌六首を作りて死《みまか》りぬ。其歌に曰く」というのである。そして長歌一首短歌五首がある。併しこれは、前言のごとく、熊凝《くまこり》が自ら作ったのではなく、憶良が熊凝の心になって、熊凝臨終のつもりになって作ったのである。
 一首の意は、嘗て知らなかった遙かな黄泉の道をば、おぼつかなくも心悲しく、糧米《かて》も持たずに、どうして私は行けば好いのだろうか、というのである。「くれぐれと」は、「闇闇《くれくれ》と」で、心おぼろに、おぼつかなく、うら悲しく等の意である。この歌の前に、「欝《おぼほ》しく何方《いづち》向きてか」というのがあるが、その「おぼほしく」に似ている。
 この歌は六首の中で一番優れて居り、想像で作っても、死して黄泉へ行く現身《げんしん》の姿のようにして詠んでいるのがまことに利いて居る。糧米も持たずに歩くと云ったのも、後代の吾等の心を強く打
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