だから、これを標準とせば、「あぢむら騒ぎ」も実景としてもいいかも知れぬが、この巻七の歌も巻十六の歌もよく味うと、やはり海鳥を写象として、その聯想によって「すだけど」、或は「来れど」と云っているのだということが分かり、属目光景では無いのである。
この御製を、女性らしい御語気だと云ったが、代匠記では男の歌とし、毛詩|鄭風《ていふう》の、出[#(バ)][#二]其東門[#(ヲ)][#一]、有[#レ]女如[#(シ)][#レ]雲、雖[#二]則如[#(シト)][#一レ]雲、匪[#(ズ)][#二]我思[#(ノ)]存[#(スルニ)][#一]を引いている。即ち「君」を女と解している。攷證でも、「この御製は、女をおぼしめして詠せ給ふにて」、「吾は君とは違ひて、誘《サソ》ふ人もあらざれば、いとさびしとのたまふにて、君は定めて誘ふ人もあまたありぬべしとの御心を、味村の飛ゆくさまをみそなはして、つゞけ給へる也」と云っている。どちらが本当か、後賢の判断を俟《ま》っている。
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君《きみ》待《ま》つと吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》れば吾《わ》が屋戸《やど》の簾《すだれ
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