家持の作ったものである。此時家持は長短歌六首作って居る。一首の意は、満山の光るまでに咲き盛っていた花が一時に散ったごとく、皇子は逝《ゆ》きたもうた、というのである。家持の内舎人になったのは天平十二年頃らしく、此作は家持の初期のものに属するであろうが、こころ謹しみ、骨折って作っているのでなかなか立派な歌である。家持は、父の旅人があのような歌人であり、夙《はや》くから人麿・赤人・憶良等の作を集めて勉強したのだから、此等六首を作る頃には、既に大家の風格を具《そな》えているのである。
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巻第四
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山《やま》の端《は》に味鳬《あぢ》群騒《むらさわ》ぎ行《ゆ》くなれど吾《われ》はさぶしゑ君《きみ》にしあらねば 〔巻四・四八六〕 舒明天皇
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岳本天皇《おかもとのすめらみこと》御製一首並短歌とある、その短歌である。岳本天皇は即ち舒明天皇を申奉るのであるが、御製歌には女性らしいところがあるので、左注には後岳本天皇《のちのおかもとのすめらみこと》即ち斉明《さいめい》天皇の御製ではなかろうかと疑問を附している。それ
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