くなく、種々ものおもいしていたが、ようやくにして恋しい加古の島が見え出した、というので、西から東へ向って航している趣《おもむき》の歌である。
「稲日野も」の「も」は、「足引のみ山も清《さや》に落ちたぎつ」(巻六・九二〇)、「筑波根《つくばね》の岩もとどろに落つるみづ」(巻十四・三三九二)などの「も」の如く、軽く取っていいだろう。「過ぎがてに」は、舟行が遅くて、広々した稲日野の辺を中々通過しないというので、舟はなるべく岸近く漕《こ》ぐから、稲日野が見えている趣なのである。「思へれば」は、彼此《かれこれ》おもう、いろいろおもうの意で、此句と、前の句との間に小休止があり、これはやはり人麿的なのであるから、「ものおもふ」ぐらいの意に取ればいい。つまり旅の難儀の気持である。然るに従来この句を、稲日野の景色が佳いので、立去り難いという気持の句だと解釈した先輩(契沖以下殆ど同説)の説が多い。併しこの場合にはそれは感服し難い説で、そうなれば歌がまずくなってしまうと思うがどうであろうか。また用語の類例としては、「繩の浦に塩焼くけぶり夕されば行き過ぎかねて山に棚引く」(巻三・三五四)があって、私の解釈の無
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