ったものとして、「大君は神にしませば雲隠る雷山《いかづちやま》に宮敷《みやし》きいます」となっている。なお「大君は神にしませば赤駒のはらばふ田井《たゐ》を京師《みやこ》となしつ」(巻十九・四二六〇)、「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼《みぬま》を皇都《みやこ》となしつ」(同・四二六一)、「大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海をなすかも」(巻三・二四一)等の参考歌がある。
右のうち巻十九(四二六〇)の、「赤駒のはらばふ田井」の歌は、壬申乱《じんしんのらん》平定以後に、大将軍贈右大臣大伴卿の作である。この大将軍は即ち大伴御行《おおとものみゆき》で大伴安麿の兄に当り、高市大卿ともいい、大宝元年に薨じ右大臣を贈られた。壬申乱に天武天皇方の軍を指揮した。此歌は飛鳥の浄見原の京都を讃美したもので、「赤駒のはらばふ」は田の辺に馬の臥《ふ》しているさまである。此歌は即ち人麿の歌よりも前であるし、古調でなかなかいいところがあるので、巻十九で云うのを此処で一言費すことにした。四二六一は異伝で童謡風になっている。四二六〇の歌が人麿の歌より前だとすると、人麿に影響したとも取れるが、この歌をはじめて聞いた
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