ようものを、あわれにも唯一人こうして死んでいる。そして野の兎芽子《うはぎ》はもう季節を過ぎてしまっているではないか、というのである。
タグという動詞は下二段に活用し、飲食することである。人麿はこういう種類の歌にもなかなか骨を折り、自分の身内か恋人でもあるかのような態度で作歌して居る。それゆえ軽くすべって行くようなことがなく、飽くまで人麿自身から遊離していないものとして受取ることが出来るのである。
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鴨山《かもやま》の磐根《いはね》し纏《ま》ける吾《われ》をかも知《し》らにと妹《いも》が待《ま》ちつつあらむ 〔巻二・二二三〕 柿本人麿
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人麿が石見国にあって死なんとした時、自ら悲しんで詠んだ歌である。当時人麿は石見国府の役人として、出張の如き旅にあって、鴨山のほとりで死んだものであろう。
一首は、鴨山の巌《いわお》を枕として死んで居る吾をも知らずに、吾が妻は吾の帰るのを待ち詫《わ》びていることであろう、まことに悲しい、という意である。
人麿の死んだ時、妻の依羅娘子《よさみのおとめ》が、「けふけふと吾が待つ
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