という用例もある。「過ぐ」とは死去することである。
一首は、敷妙の袖をお互に交《か》わして契りたもうた川島皇子の君は、今|越智野《おちぬ》(大和国高市郡)に葬られたもうた。今後二たびお逢いすることが出来ようか、もうそれが出来ない、というのである。
この歌は皇女の御気持になり、皇女に同情し奉った歌だが、人麿はそういう場合にも自分の事のようになって作歌し得たもののようである。そこで一首がしっとりと充実して決して申訣《もうしわけ》の余所余所《よそよそ》しさというものが無い。第四句で、「越智野に過ぎぬ」と切って、二たび語を起して、「またもあはめやも」と止めた調べは、まことに涙を誘うものがある。
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零《ふ》る雪《ゆき》はあはにな降《ふ》りそ吉隠《よなばり》の猪養《ゐがひ》の岡《をか》の塞《せき》なさまくに 〔巻二・二〇三〕 穂積皇子
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但馬《たじま》皇女が薨ぜられた(和銅元年六月)時から、幾月か過ぎて雪の降った冬の日に、穂積皇子が遙かに御墓(猪養の岡)を望まれ、悲傷|流涕《りゅうてい》して作られた歌である。皇女と皇
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