ど》におぼほしく人音《ひとおと》もせねばまうらがなしも 〔巻二・一八九〕 同
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日並の皇子尊に仕えた舎人等が慟傷《どうしょう》して作った歌二十三首あるが、今その中二首を選んで置いた。「東の滝の御門」は皇子尊の島の宮殿の正門で、飛鳥《あすか》川から水を引いて滝をなしていただろうと云われている。「人音もせねば」は、人の出入も稀に寂《さび》れた様をいった。
大意。第一首。島の宮の東門の滝の御門に伺候して居るが、昨日も今日も召し給うことがない。嘗《かつ》て召し給うた御声を聞くことが出来ない。第二首。嘗て皇子尊の此世においでになった頃は、朝日の光の照るばかりであった島の宮の御門も、今は人の音ずれも稀になって、心もおぼろに悲しいことである、というのである。
舎人等の歌二十三首は、素直に、心情を抒《の》べ、また当時の歌の声調を伝えて居る点を注意すべきであるが、人麿が作って呉れたという説はどうであろうか。よく読み味って見れば、少し楽《らく》でもあり、手の足りないところもあるようである。なお二十三首のうちには次の如きもある。
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朝日てる佐太の岡べに群れ
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