の歌にあるからであろう。自分は、「北山につらなる雲の」だけでももはや尊敬するので、それほど古調を尊んでいるのだが、少しく偏しているか知らん。

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神風《かむかぜ》の伊勢《いせ》の国《くに》にもあらましを何《なに》しか来《き》けむ君《きみ》も有《あ》らなくに 〔巻二・一六三〕 大来皇女
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 大津皇子が薨じ給うた後、大来《おおく》(大伯)皇女が伊勢の斎宮から京に来られて詠まれた御歌である。御二人は御姉弟の間柄であることは既に前出の歌のところで云った。皇子は朱鳥《あかみとり》元年十月三日に死を賜わった。また皇女が天武崩御によって斎王《いつきのおおきみ》を退き(天皇の御代毎に交代す)帰京せられたのはやはり朱鳥元年十一月十六日だから、皇女は皇子の死を大体知っていられたと思うが、帰京してはじめて事の委細を聞及ばれたものであっただろう。
 一首の意。〔神風の〕(枕詞)伊勢国にその儘とどまっていた方がよかったのに、君も此世を去って、もう居られない都に何しに還って来たことであろう。
「伊勢の国にもあらましを」の句は、皇女真実の御声
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