年四月、伊勢に行幸御進発間際に急逝せられた。天武紀に、七年夏四月、丁亥朔、欲[#レ]幸[#二]斎宮[#一]、卜[#レ]之、癸巳食[#レ]卜、仍取[#二]平旦時[#一]、警蹕既動、百寮成[#レ]列、乗輿命[#レ]蓋、以未[#レ]及[#二]出行[#一]、十市皇女、卒然病発、薨[#二]於宮中[#一]、由[#レ]此鹵簿既停、不[#レ]得[#二]幸行[#一]、遂不[#レ]祭[#二]神祇[#一]矣とある。高市皇子は異母弟の間柄にあらせられる。御墓は赤穂にあり、今は赤尾に作っている。
 一首の意は、山吹の花が、美しくほとりに咲いている山の泉の水を、汲みに行こうとするが、どう通《とお》って行ったら好いか、その道が分からない、というのである。山吹の花にも似た姉の十市皇女が急に死んで、どうしてよいのか分からぬという心が含まれている。
 作者は山清水のほとりに山吹の美しく咲いているさまを一つの写象として念頭に浮べているので、謂わば十市皇女と関聯した一つの象徴なのである。そこで、どうしてよいか分からぬ悲しい心の有様を「道の知らなく」と云っても、感情上|毫《すこ》しも無理ではない。併し、常識からは、一定の山清水
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