来鳴き響《とよ》むる」(同・三七八〇)等の心持を参照すれば、此歌の背後にある恋愛情調をも感じ得るのである。つまり誰かを待つという情調であろう。そして信濃国でこういう歌が労働のあいまなどに歌われたものであろう。民謡だから自分等のうたう歌に地名を入れるので、他にも例が多く、必ずしも※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅にあって詠んだとせずともいいであろう。「アラノ」(安良能)といって「アラヌ」(安良努)と云わなかったのは、この歌ではアラノと発音していたことが分かる。一種の地方|訛《なまり》であっただろう。この歌の調子はほかの東歌と似ていないが、こういう歌をも信濃でうたっていたと解釈すべきで、共に日本語だから共通していて毫《ごう》もかまわぬのである。賀茂真淵《かものまぶち》が、この歌を模倣して、「信濃なる菅の荒野を飛ぶ鷲《わし》の翼《つばさ》もたわに吹く嵐《あらし》かな」と詠《よ》んだが、未だ万葉調になり得なかった。「吹く嵐かな」などという弱い結句は万葉には絶対に無い。

           ○

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天《あま》の原《はら》富士《ふじ》の柴山《しばやま》木《こ》の暗《くれ》の時《とき》移《ゆつ》りなば逢《あ》はずかもあらむ 〔巻十四・三三五五〕 東歌
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 これは駿河国歌で相聞として分類している。「天のはら富士の柴山木の暗《くれ》の」までは「暮《くれ》」(夕ぐれ)に続く序詞で、空に聳《そび》えている富士山の森林のうす暗い写生から来ているのである。一首の意は夕方に逢おうと約束したから、こうして待っているがなかなか来ず、この儘《まま》時が移って行ったら逢うことが出来ないのではないか知らん、というので、この内容なら普通であるが、そのあたりで歌った民謡で、富士の森林を入れてあるし、ウツリ(移り)をユツリと訛《なま》っていたりするので、東歌として集められたものであろう。この歌の、「時移りなば」の句は、時間的には短いが、その気持は、前の「信濃なる」の歌を解釈する参考となるものである。取りたてていう程の歌でないが、「妹が名も吾が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺《たかね》の燃えつつわたれ」(巻十一・二六九七)などと共に、富士山を詠みこんでいるので注意したのであった。

           ○

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足柄《あしがら》の彼面此面《をてもこのも》に刺《さ》す羂《わな》のかなる間《ま》しづみ児《こ》ろ我《あれ》紐《ひも》解《と》く 〔巻十四・三三六一〕 東歌
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 相模国《さがむのくに》歌で、足柄は範囲はひろかったが、此処は足柄山とぼんやり云っている。「彼面此面《をてもこのも》」は熟語で、あちらにもこちらにもというのであろう。下に、「筑波嶺《つくばね》のをてもこのもに」(三三九三)という例があり、東歌的|訛《なまり》の口調である。巻十七(四〇一一)の長歌で家持が、「あしひきのをてもこのもに鳥網《となみ》張り」云々《うんぬん》と使ったのは、此歌の模倣で必ずしも都会語ではなかっただろう。「かなる間しづみ」はよく分からない。代匠記では鹿鳴間沈《カナルマシヅミ》で、鹿の鳴いて来る間に屏息《へいそく》して待っている意に取ったが、或は、「か鳴る間しづみ」で、羂《わな》に動物がかかって音立てること、鳴子《なるこ》のような装置でその音響を知ることで、「か鳴る」の「か」は接頭辞であろう。その動物のかかる問、じっと静かにして、息をこらしてということになるであろう。
 一首の意は、「かなる間しづみ」までは序詞で、いろいろとうるさい噂《うわさ》などが立つが、じっとこらえて、こうしてお前とおれは寝るのだよ、というのである。代匠記に、「シノビテ通フ所ニモ皆人ノ臥《ふし》シヅマルヲ待テ児等モ吾モ共ニ下紐解トナリ」と云っている。結句の、八音の中に、「児ろ吾《あれ》紐解く」即ち、可哀い娘と己《おれ》とがお互に着物の紐を解いて寝る、という複雑なことを入れてあり、それが一首の眼目なのだから、調子がつまってなだらかに伸《の》びていない。それに上の方も順じて調子がやはり重く圧搾《あっさく》されているが、全体としては進行的な調子で、労働歌の一種と感ずることが出来る。恐らく足柄山中の樵夫《きこり》などの間に行われたものであっただろう。調子も古く感じ方材料も古樸《こぼく》でおもしろいものである。
「荒男《あらしを》のい小箭《をさ》手挾《たばさ》み向ひ立ちかなる間《ま》しづみ出でてと我《あ》が来る」(巻二十・四四三〇)は「昔年《さきつとし》の防人《さきもり》の歌」とことわってあるが、此歌にも、「かなる間しづみ」という語が入っている。併し此語は巻十四の歌語を踏まえて作ったものと看做《みな》すことも出
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