回避するような行為がひどく覚官的であるが、それが毫《ごう》も婬靡《いんび》でないのは簡浄《かんじょう》な古語のたまものである。前にも、「面隠さるる」というのがあったが、また、「面無《おもな》み」というのもあり、実体的で且《か》つ微妙な味いのあるいい方である。
○
[#ここから5字下げ]
幼婦《をとめご》は同《おな》じ情《こころ》に須臾《しましく》も止《や》む時《とき》も無《な》く見《み》むとぞ念《おも》ふ 〔巻十二・二九二一〕 作者不詳
[#ここで字下げ終わり]
この幼婦《おとめ》のわたくしも、あなた同様、暫《しば》らくも休むことなく、絶えずあなたにお逢いしたいのです、というのであるが、男から、絶えずお前を見たいと云って来たのに対して、こういうことを云ったものであろう。この歌では、「同じこころに」と云ったのが好い。「死《しに》も生《いき》も同じ心と結びてし友や違《たが》はむ我も依りなむ」(巻十六・三七九七)、「紫草《むらさき》を草と別《わ》く別《わ》く伏す鹿の野は異《こと》にして心は同じ」(巻十二・三〇九九)等が参考になるだろう。なお、この歌で注意すべきは、「幼婦《をとめご》は」といったので、これは「わたくしは」というのと同じだが、客観的に「幼婦は」というのに却《かえ》って親しみがあるようであり、「幼婦《をとめご》」というから此歌がおもしろいのである。
○
[#ここから5字下げ]
今《いま》は吾《あ》は死《し》なむよ我背《わがせ》恋《こひ》すれば一夜《ひとよ》一日《ひとひ》も安《やす》けくもなし 〔巻十二・二九三六〕 作者不詳
[#ここで字下げ終わり]
一首の意は、あなたよ、もう私は死んでしまう方が益《ま》しです、あなたを恋すれば日は日じゅう夜は夜じゅう心の休まることはありませぬ、というので、女が男に愬《うった》えた趣《おもむき》の歌である。「死なむよ」は、「死なむ」に詠歎の助詞「よ」の添わったもので、「死にましょう」となるのであるが、この詠歎の助詞は、特別の響を持ち、女が男に愬える言葉としては、甘くて女の声その儘《まま》を聞くようなところがある。この歌を選んだのは、そういう直接性が私の心を牽《ひ》いたためであるが、後世の恋歌になると、文学的に間接に堕《お》ち却って悪くなった。
巻四(六八四)、大伴坂上郎女の、「今は吾は死なむよ吾背生けりとも吾に縁《よ》るべしと言ふといはなくに」という歌は、恐らく此歌の模倣だろうから、当時既に古歌として歌を作る仲間に参考せられていたことが分かる。なお集中、「今は吾は死なむよ吾妹《わぎも》逢はずして念《おも》ひわたれば安けくもなし」(巻十二・二八六九)、「よしゑやし死なむよ吾妹《わぎも》生けりとも斯くのみこそ吾が恋ひ渡りなめ」(巻十三・三二九八)というのがあり、共に類似の歌である。「死なむよ」の語は、前云ったように直接性があって、よく響くので一般化したものであろう。併し、「死なむよ我背」と女のいう方が、「死なむよ我妹」と男のいうよりも自然に聞こえるのは、後代の私の僻眼《ひがめ》からか。ただ他の歌が皆この歌に及ばないところを見ると、「今は吾は死なむよ我背」が原作で、従って、「死なむよ我背」が当時の人にも自然であっただろうと謂《い》うことが出来る。
○
[#ここから5字下げ]
吾《わ》が齢《よはひ》し衰《おとろ》へぬれば白細布《しろたへ》の袖《そで》の狎《な》れにし君《きみ》をしぞ念《おも》ふ 〔巻十二・二九五二〕 作者不詳
[#ここで字下げ終わり]
一首の意は、おれも漸《ようや》く年をとって体も衰えてしまったが、今しげしげと通わなくとも、長年|狎《な》れ親しんだお前のことが思出されてならない、という程の意で、「君」というのを女にして、男の歌として解釈したのであった。無論民謡的にひろがり得る性質の歌だから、「君」をば男にして女の歌と解釈することも出来るが、やはり老人の述懐的な恋とせば男の歌とする方が適当ではなかろうか。さすれば、女のことを「君」といった一例である。それから、「白細布の袖の」までは「狎れ」に続く序詞であるが、やはり意味の相関聯するものがあり、衣の袖を纏《ま》き交《かわ》した時の情緒《じょうしょ》がこの序詞にこもっているのである。
万葉に老人の恋を詠んだ歌のあることは既に前にも云ったが、なお巻十三には、「天橋《あまはし》も長くもがも、高山も高くもがも、月読《つくよみ》の持《も》たる変若水《をちみづ》、い取り来て君に奉《まつ》りて、変若《をち》得しむもの」(三二四五)、反歌に、「天《あめ》なるや月日の如く吾が思《も》へる公《きみ》が日にけに老ゆらく惜しも」(三二四六)があり、なお、「沼名河《ぬながは》の
前へ
次へ
全133ページ中103ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング