を指定しているのなら、「道の知らなく」というのがおかしいというので、橘守部の如く、「山吹の立ちよそひたる山清水」というのは、「黄泉」という支那の熟語をくだいてそういったので、黄泉まで尋ねて行きたいが幽冥界を異にしてその行く道を知られないというように解するようになる。守部の解は常識的には道理に近く、或は作者はそういう意図を以て作られたのかも知れないが、歌の鑑賞は、字面にあらわれたものを第一義とせねばならぬから、おのずから私の解釈のようになるし、それで感情上決して不自然ではない。
 第二句、「立儀足」は旧訓サキタルであったのを代匠記がタチヨソヒタルと訓んだ。その他にも異訓があるけれども大体代匠記の訓で定まったようである。ヨソフという語は、「水鳥のたたむヨソヒに」(巻十四・三五二八)をはじめ諸例がある。「山吹の立ちよそひたる山清水」という句が、既に写象の鮮明なために一首が佳作となったのであり、一首の意味もそれで押とおして行って味えば、この歌の優れていることが分かる。古調のいい難い妙味があると共に、意味の上からも順直で無理が無い。黄泉云々の事はその奥にひそめつつ、挽歌としての関聯を鑑賞すべきである。なぜこの歌の上の句が切実かというに、「かはづ鳴く甘南備《かむなび》河にかげ見えて今か咲くらむ山吹の花」(巻八・一四三五)等の如く、当時の人々が愛玩した花だからであった。

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北山《きたやま》につらなる雲《くも》の青雲《あをぐも》の星離《ほしさか》りゆき月《つき》も離《さか》りて 〔巻二・一六一〕 持統天皇
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 天武天皇崩御の時、皇后(後の持統天皇)の詠まれた御歌である。原文には一書曰、太上天皇御製歌、とあるのは、文武天皇の御世から見て持統天皇を太上天皇と申奉った。即ち持統天皇御製として言伝えられたものである。
 一首は、北山に連《つらな》ってたなびき居る雲の、青雲の中の(蒼き空の)星も移り、月も移って行く。天皇おかくれになって万《よろ》ず過ぎゆく御心持であろうが、ただ思想の綾《あや》でなく、もっと具体的なものと解していい。
 大体右の如く解したが、此歌は実は難解で種々の説がある。「北山に」は原文「向南山」である。南の方から北方にある山科の御陵の山を望んで「向南山」と云ったものであろう。「つらなる雲の」は原文「陣(陳)雲之」で旧訓タナビククモノであるが、古写本中ツラナルクモノと訓んだのもある。けれども古来ツラナルクモという用例は無いので、山田博士の如きも旧訓に従った。併しツラナルクモも可能訓と謂われるのなら、この方が型を破って却って深みを増して居る。次に「青雲」というのは青空・青天・蒼天などということで、雲というのはおかしいようだが、「青雲のたなびく日すら霖《こさめ》そぼ降る」(巻十六・三八八三)、「青雲のいでこ我妹子」(巻十四・三五一九)、「青雲の向伏すくにの」(巻十三・三三二九)等とあるから、晴れた蒼天をも青い雲と信じたものであろう。そこで、「北山に続く青空」のことを、「北山につらなる雲の青雲の」と云ったと解し得るのである。これから、星のことも月のことも、単に「物変星移幾度秋」の如きものでなく、現実の星、現実の月の移ったことを見ての詠歎と解している。
 面倒な歌だが、右の如くに解して、自分は此歌を尊敬し愛誦している。「春過ぎて夏来るらし」と殆ど同等ぐらいの位置に置いている。何か渾沌《こんとん》の気があって二二ガ四と割切れないところに心を牽《ひ》かれるのか、それよりももっと真実なものがこの歌にあるからであろう。自分は、「北山につらなる雲の」だけでももはや尊敬するので、それほど古調を尊んでいるのだが、少しく偏しているか知らん。

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神風《かむかぜ》の伊勢《いせ》の国《くに》にもあらましを何《なに》しか来《き》けむ君《きみ》も有《あ》らなくに 〔巻二・一六三〕 大来皇女
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 大津皇子が薨じ給うた後、大来《おおく》(大伯)皇女が伊勢の斎宮から京に来られて詠まれた御歌である。御二人は御姉弟の間柄であることは既に前出の歌のところで云った。皇子は朱鳥《あかみとり》元年十月三日に死を賜わった。また皇女が天武崩御によって斎王《いつきのおおきみ》を退き(天皇の御代毎に交代す)帰京せられたのはやはり朱鳥元年十一月十六日だから、皇女は皇子の死を大体知っていられたと思うが、帰京してはじめて事の委細を聞及ばれたものであっただろう。
 一首の意。〔神風の〕(枕詞)伊勢国にその儘とどまっていた方がよかったのに、君も此世を去って、もう居られない都に何しに還って来たことであろう。
「伊勢の国にもあらましを」の句は、皇女真実の御声
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