原鎌足の妻になる時鎌足に贈った歌、「玉くしげ覆《おほ》ふを安《やす》み明けて行かば君が名はあれど吾が名し惜しも」(巻二・九三)の方は稍《やや》気軽に作っている点に差別がある。併し「君が名はあれど吾が名し惜しも」の句にやはり女性の口吻が出ていて棄てがたいものである。

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玉《たま》くしげ御室《みむろ》の山《やま》のさなかづらさ寝《ね》ずは遂《つひ》にありがつましじ 〔巻二・九四〕 藤原鎌足
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 内大臣藤原卿(鎌足)が鏡王女に答え贈った歌であるが、王女が鎌足に「たまくしげ覆《おほ》ふを安み明けて行かば君が名はあれど吾が名し惜しも」(巻二・九三)という歌を贈った。櫛笥《くしげ》の蓋《ふた》をすることが楽《らく》に出来るし、蓋を開《あ》けることも楽《らく》だから、夜の明けるの「明けて」に続けて序詞としたもので、夜が明けてからお帰りになると人に知れてしまいましょう、貴方には浮名が立ってもかまわぬでしょうが、私には困ってしまいます、どうぞ夜の明けぬうちにお帰りください、というので、鎌足のこの歌はそれに答えたのである。
「玉くしげ御室の山のさなかづら」迄は「さ寝」に続く序詞で、また、玉匣《たまくしげ》をあけて見んというミから御室山のミに続けた。或はミは中身《なかみ》のミだとも云われて居る。御室山は即ち三輪山で、「さな葛」はさね葛、美男かずらのことで、夏に白っぽい花が咲き、実は赤い。そこで一首は、そういうけれども、おまえとこうして寝ずには、どうしても居られないのだ、というので、結句の原文「有勝麻之自」は古来種々の訓のあったのを、橋本(進吉)博士がかく訓んで学界の定説となったものである。博士はカツと清《す》んで訓んでいる。ガツは堪える意、ガテナクニ、ガテヌカモのガテと同じ動詞、マシジはマジという助動詞の原形で、ガツ・マシジは、ガツ・マジ、堪うまじ、堪えることが出来ないだろう、我慢が出来ないと見える、というぐらいの意に落着くので、この儘こうして寝ておるのでなくてはとても我慢が出来まいというのである。「いや遠く君がいまさば有不勝自《アリガツマシジ》」(巻四・六一〇)、「辺にも沖にも依勝益士《ヨリガツマシジ》」(巻七・一三五二)等の例がある。
 鏡王女の歌も情味あっていいが、鎌足卿の歌も、端的で身体的に直接でなかな
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