と」に白丸傍点]両方とも見れど飽きないと解く説もある。娘は遊行女婦《うかれめ》であったろうから、美しかったものであろう。初句の、「あられうつ」は、下の「あられ」に懸けた枕詞で、皇子の造語と看做《みな》していい。一首は、よい気持になられての即興であろうが、不思議にも軽浮に艶めいたものがなく、寧ろ勁健《けいけん》とも謂《い》うべき歌調である。これは日本語そのものがこういう高級なものであったと解釈することも可能なので、自分はその一代表のつもりで此歌を選んで置いた。「見れど飽かぬかも」の句は万葉に用例がなかなか多い。「若狭《わかさ》なる三方の海の浜|清《きよ》みい往き還らひ見れど飽かぬかも」(巻七・一一七七)、「百伝ふ八十《やそ》の島廻《しまみ》を榜《こ》ぎ来れど粟の小島し見れど飽かぬかも」(巻九・一七一一)、「白露を玉になしたる九月《ながつき》のありあけの月夜《つくよ》見れど飽かぬかも」(巻十・二二二九)等、ほか十五、六の例がある。これも写生によって配合すれば現代に活かすことが出来る。
この歌の近くに、清江娘子《すみのえのおとめ》という者が長皇子に進《たてまつ》った、「草枕旅行く君と知らませば岸《きし》の埴土《はにふ》ににほはさましを」(巻一・六九)という歌がある。この清江娘子は弟日娘子《おとひおとめ》だろうという説があるが、或は娘子は一人のみではなかったのかも知れない。住吉の岸の黄土で衣を美しく摺《す》って記念とする趣である。「旅ゆく」はいよいよ京へお帰りになることで、名残を惜しむのである。情緒が纏綿《てんめん》としているのは、必ずしも職業的にのみこの媚態《びたい》を示すのではなかったであろう。またこれを万葉巻第一に選び載せた態度もこだわりなくて円融《えんゆう》とも称すべきものである。
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大和《やまと》には鳴《な》きてか来《く》らむ呼子鳥《よぶこどり》象《きさ》の中山《なかやま》呼《よ》びぞ越《こ》ゆなる 〔巻一・七〇〕 高市黒人
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持統天皇が吉野の離宮に行幸せられた時、扈従《こじゅう》して行った高市連黒人《たけちのむらじくろひと》が作った。呼子鳥はカッコウかホトトギスか、或は両者ともにそう云われたか、未だ定説が無いが、カッコウ(閑古鳥)を呼子鳥と云った場合が最も多いようである。「象の中山」
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