と》を愍《めぐ》くや君《きみ》が恋《こひ》に死《し》なする 〔巻十一・二五六〇〕 作者不詳
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 作者不明であるが、旧都にでもなったところに残り住んでいる女から、京にいる男にでも遣った歌のように受取れる。もう寂しくなって人も余り居らないこの旧都に残って居ります私に、可哀《かあい》そうにも恋死をさせるおつもりですか、とでもいうのであろう。「めぐし」は、「妻子《めこ》見ればめぐし愛《うつく》し」(巻五・八〇〇)、「妻子《めこ》見ればかなしくめぐし」(巻十八・四一〇六)等の「めぐし」は愛情の切なことをあらわしているが、「今日のみはめぐしもな見そ言も咎むな」(巻九・一七五九)、「こころぐしめぐしもなしに」(巻十七・三九七八)の「めぐし」は、むごくも可哀想にもの意で前と意味が違う、その意味は此処でも使っている。語原的にはこの方が本義で、心ぐし、目ぐしの「ぐし」も皆同じく、「目ぐし」は、目に苦しいまでに附くことから来たものであろうか。結句従来シナセムであったのを、新考でシナスルと訓んだ。

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偽《いつはり》も似《に》つきてぞする何時《いつ》よりか見《み》ぬ人《ひと》恋《こ》ふに人《ひと》の死《しに》せし 〔巻十一・二五七二〕 作者不詳
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 一首の意。嘘をおっしゃるのも、いい加減になさいまし、まだ一度もお逢いしたことがないのに、こがれ死《じに》するなどとおっしゃる筈《はず》はないでしょう。何時の世の中にまだ見ぬ恋に死んだ人が居りますか、というような意味のことを、こういう簡潔な古語でいいあらわしているのは実に驚くべきである。「偽《いつはり》も似つきてぞする」は、偽をいうにも幾らか事実に似ているようにすべきだ、余り出鱈目《でたらめ》の偽では困る、というようなことを、斯う簡潔にいうので日本語の好いところが遺憾なく出ているのである。一首全体が、きびきびとした女の語気から成り皮肉のような言葉のうちに男に寄ろうとする親密の心をも含めて、まことに珍しい歌の一つである。結句、古鈔本中、ヒトノシニスルの訓あり、略解《りゃくげ》でヒトノシニセシと訓《よ》んだ。第四句コフルニ(沢潟《おもだか》)の訓がある。

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早《はや》行《ゆ》きて何時《いつ》しか君《きみ
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