《こ》ひ止《や》まず 〔巻十一・二四六九〕 柿本人麿歌集
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同上、人麿歌集出。山萵苣《やまちさ》は食用にする萵苣《ちさ》で、山に生えるのを山萵苣といったものであろう。エゴの木だという説もあるが、白露おくという草に寄せた歌だから、大体食用の萵苣と解釈していいようである。露のために花のしなっているように心の萎《しな》える心持で序詞とした。この歌も取りたてていう程のものでないが、「心を深みわが恋ひ止まず」の句が棄てがたいから選んで置いたし、萵苣は食用菜で、日常生活によって見ているものを持って来たのがおもしろいと思ったのである。
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垂乳根《たらちね》の母《はは》が養《か》ふ蚕《こ》の繭隠《まよごも》りこもれる妹《いも》を見《み》むよしもがも 〔巻十一・二四九五〕 柿本人麿歌集
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同上、人麿歌集出。第三句迄は序詞で、母の飼っている蚕《かいこ》が繭《まゆ》の中に隠《こも》るように、家に隠って外に出ない恋しい娘を見たいものだ、というので、この繭のことを云うのも日常生活の経験を持って来ている。蚕に寄する恋といっても、題詠ではなく、斯《こ》ういう歌が先ず出来てそれから寄[#レ]物恋と分類したものである。この歌は序詞のおもしろみというよりも、全体が実生活を離れず、特に都会生活でない農民生活を示すところがおもしろいのである。巻十二(二九九一)に、「垂乳根の母が養《か》ふ蚕《こ》の繭隠《まよごも》りいぶせくもあるか妹にあはずて」というのがあり、巻十三(三二五八)の長歌に、「たらちねの母が養ふ蚕の、繭隠り気衝《いきづ》きわたり」というのがあるが、やはり此歌の方が旨い。「いぶせく」では続きが突如としても居り、不自然で妙味がないようである。
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垂乳根《たらちね》の母《はは》に障《さは》らばいたづらに汝《いまし》も吾《われ》も事《こと》成《な》るべしや 〔巻十一・二五一七〕 作者不詳
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正述[#二]心緒[#一]。作者不明。一首の意は、母に遠慮して気兼してぐずぐずしているなら、お前も私もこの恋を遂げることが出来んではないかというので、男が女を促す趣の歌である。男が気を急いで女に向って斯《か》くまで強いことをいうのも或《あ
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