ある。どうしても、この「ほどろに」には、何かを慕い、何かを要求し、不満を充《み》たそうとねがうような語感のあるとおもうのは、私だけの錯覚であろうか。「今か今か」と繰返したのも、女の語気が出ていてあわれ深い。
巻十二(二八六四)に、「吾背子を今か今かと待ち居るに夜の更《ふ》けぬれば嘆《なげ》きつるかも」。巻二十(四三一一)に、「秋風に今か今かと紐《ひも》解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ」がある。
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はなはだも夜《よ》深《ふ》けてな行《ゆ》き道《みち》の辺《べ》の五百小竹《ゆざさ》が上《うへ》に霜《しも》の降《ふ》る夜《よ》を 〔巻十・二三三六〕 作者不詳
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「五百小竹《ゆざさ》」は繁った笹のことで、五百小竹《いおささ》の意だと云われている。もう繁った笹に霜が降ったころです、こんなに夜更《よふけ》にお帰りにならずに、暁になってからにおしなさい、といって、女が男の帰るのを惜しむ心持の歌である。全体が民謡風で、万人の唄《うた》うのにも適《かな》っているが、はじめは誰か、女一人がこういうことを云ったものであろう、そこに切にひびくものがあり、愛情の纏綿《てんめん》を伝えている。女が男の帰るのを惜しんでなるべく引きとめようとする歌は可なり万葉に多く、既に評釈した、「あかときと夜烏《よがらす》鳴けどこのをかの木末《こぬれ》のうへはいまだ静けし」(巻七・一二六三)などもそうだが、万葉のこういう歌でも実質的、具体的だからいいので、後世の「きぬぎぬのわかれ」的に抽象化してはおもしろくないのである。
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巻第十一
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新室《にひむろ》を踏《ふ》み鎮《しづ》む子《こ》し手玉《ただま》鳴《な》らすも玉《たま》の如《ごと》照《て》りたる君《きみ》を内《うち》へと白《まを》せ 〔巻十一・二三五二〕 柿本人麿歌集
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旋頭歌《せどうか》で、人麿歌集所出である。一首の意は、新しく家を造るために、その地堅め地鎮の祭を行うので、大勢の少女《おとめ》等が運動に連れて手飾《てかざり》の玉を鳴らして居るのが聞こえる。あの玉のように立派な男の方をば、この新しい家の中へおはいりになるように御案内申せ、というのである。この歌は大勢の若い女の心持が全体を領
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